私はめでたく春から社会人になる。そして初めての1人暮らしも始める。そう、僕はこの街を去るのだ。このイベントは主にとっては特殊性のあるものだ。例えば家族とする食事もあと1ヶ月後にはなくなるのだと貴重なものに思えてくる。そして“僕はこの街をひっそりと去る”と呟きながら最寄駅前を歩くとありもしない高校時代の恋路を昨日のことのように思い出すことが出来る。
高校3年の雪の降るある日、靴下までビショビショになった足を憂ていた。こんな日にカッコつけて英単語帳を開きながら歩いたせいでページが引っ付く。
「勤勉ですね〜」斜め後ろから茶化したような声が聞こえた。今思えばあの日が始まりだったのだ。そして今もあの出来事を引きずっている。
そういえば私は高校時代、チャリ通であった。危なかった…もう少しで戻れなくなるところだった。“僕はこの街を去る”というキラーフレーズは本当に危険である。私は発することでニセ情景を想像してしまうこの現象を“僕はこの街を去る”バイアスと名付けた。僕はこの病に悩んでいる。恐らくちょっとエモい感じで語ってるせいだ。言い方を変えてみよう。
”俺は地元を捨てる“
これを近所の公園で呟けば、喧嘩に明け暮れ拳を交えたマブダチとの思い出が蘇る。確かタイムリープをしながら恋人を救ったような…。
もーだめだ、だめだ。2つの検証から考えるに、”この街“は恐らくどんな形であれ私を縛っていくのだろう。いっそ開き直って”僕はこの街を去る“バイアスを持ってニセの美しい記憶と共に社会人になっていこうと思う……あの日夏のかんかん照りの中必死にサッカーボールを追いかけていた。学校には球の音だけが響く。厳しいはずの休日の練習は穏やかに時間が過ぎる……