“僕はこの街を去る”バイアス

 私はめでたく春から社会人になる。そして初めての1人暮らしも始める。そう、僕はこの街を去るのだ。このイベントは主にとっては特殊性のあるものだ。例えば家族とする食事もあと1ヶ月後にはなくなるのだと貴重なものに思えてくる。そして“僕はこの街をひっそりと去る”と呟きながら最寄駅前を歩くとありもしない高校時代の恋路を昨日のことのように思い出すことが出来る。

 高校3年の雪の降るある日、靴下までビショビショになった足を憂ていた。こんな日にカッコつけて英単語帳を開きながら歩いたせいでページが引っ付く。

「勤勉ですね〜」斜め後ろから茶化したような声が聞こえた。今思えばあの日が始まりだったのだ。そして今もあの出来事を引きずっている。

 

 そういえば私は高校時代、チャリ通であった。危なかった…もう少しで戻れなくなるところだった。“僕はこの街を去る”というキラーフレーズは本当に危険である。私は発することでニセ情景を想像してしまうこの現象を“僕はこの街を去る”バイアスと名付けた。僕はこの病に悩んでいる。恐らくちょっとエモい感じで語ってるせいだ。言い方を変えてみよう。

”俺は地元を捨てる“

これを近所の公園で呟けば、喧嘩に明け暮れ拳を交えたマブダチとの思い出が蘇る。確かタイムリープをしながら恋人を救ったような…。

 

もーだめだ、だめだ。2つの検証から考えるに、”この街“は恐らくどんな形であれ私を縛っていくのだろう。いっそ開き直って”僕はこの街を去る“バイアスを持ってニセの美しい記憶と共に社会人になっていこうと思う……あの日夏のかんかん照りの中必死にサッカーボールを追いかけていた。学校には球の音だけが響く。厳しいはずの休日の練習は穏やかに時間が過ぎる……

久しぶりのエンコー

 最近、サークルの後輩主導の演劇に参加させて貰っている。4年生の2月という時期、大学生活最後の思い出を無理矢理作りにいっているみたいで気が引けるのが正直なところである。というのも4年生は僕しか参加していないのだ。1年生のときに抱いていた同期との演劇を通じた熱い友情という寒い目標は失敗に終わったのである。だから今は後輩に気を遣われながらやっている。非常に気まずい。それでも改めて演劇に触れると楽しい。僕としては珍しいことに役者をやっているのだけれど、無気力大学生たる僕が役では意気揚々と自分の旅行譚を語ったりする。あと、あんま親しめていない後輩と劇では仲良く喋れるのも嬉しい所だ。私はこの交流をエンコー(流)と呼んでいる。私はエンコーが好きだ。後輩からしたらある意味、援助的でもあるかも知れない。エンコーで役をシていると彼らとIFの世界線で会ってしまったような錯覚に陥る。この世界線でも君らに影響を与えてしまってすまないと思う。

 こういう演劇の話を外部の人間に話すと、よく羨ましがられる。大抵「熱中出来ることがあるのいいね」だとかつまらないことを言う。確かに楽しいのだが、楽しいのだが!……

そう思っていないとやってらんないのである。好きだと思い込む。そうすれば「演劇」だろうと「寝取られ」だろうと、ありとあらゆる理解し難いものを愛せるのだ。

賢明な若者は優先席に座る①

私は優先席を占領する 

 電車に乗っているとき席が殆ど埋まっていたら迷わず優先席に座るようにしている。20代前半の若者が優先席に踏ん反り返っているという構図を見たら「最近の若者はけしからん」とおじさんに言われるかも知れない。なぜわざわざ優先席に座るのかというと、優先者を選ぶ権利が欲しいからである。

 以前初老のスーツ姿のおじさんに席を譲る女子高生の姿を見たことがある。譲られたおじさんは還暦直前くらいの年齢だと推測できる。当然、現役意識はあるし事実現役である。もちろん「まだ俺はそんな歳じゃない」と言いたげな顔をしていた。よくある話である。面白いのはここからで数駅後にそのおじさんよりもおじいさん寄りのおじさんが乗り込んで来た。そしておじさんがおじさんに席を譲っていたのである。その時に分かったのである、優先席では若者が知らないところでおじさんが自分よりもおじいさんなおじさんを探して席を譲るという地獄のバトンレースが起きていることに。悲しいのはそのバトンは女子高生の好意によって始まっていることである。女子高生からすればおじさんもおじいさんも同じようなものである。どちらも相対的に老体なのだから。そんな好意が無下になってしまう状況を打破するために私は優先者選考の面接官として優先席に居座るようになったのだ。

 

おじさんには現役プライドがある

優先者選考で最も重要なことは現役プライドを見抜くことだ。間違っても「まだまだ自分はやれる」と思っているおじさんに席を譲ってはいけない。これに関してはある程度見た目で判断できる。おじいさんは次のような成長過程を持っている。

おじさん→中間期→おじいさん

30年くらいかけてゆっくりと成長していくのである。

若者でも大体、おじさんとおじいさんの区別は付くものである(まぁ先の女子高生は明らかなおじさんに譲っていたのだが)。選考ではその中間過程に当たる「おじさん」の精神性を見抜かなければいけないのだ。現役趣向か隠居趣向かを。ここを見抜ける人材でなければ面接官は務まらない。私は人の精神性を注意深く観察する習慣があったためこの度面接官に抜擢されたわけである。どんぐりの背比べないしおじぃさんの歳比べを未然に阻止するために私の面接官としての知見を共有したいと思う。これを読んだ方が可哀そうなおじぃさんと健気な女子高生を救う活動に邁進してくれれば幸いだ。

 

次項では本題に入っておじぃさんを四象限に分けて解説していきたいと思う。

 

人類が誇るべきもの【宇宙AV監督あるある】

 私は人類を誇りに思っている。この気持ちは殆ど人類が作るとある創作物に由来する。それはタイトルにあるようにAV(アダルトビデオ)である。同じ種族を如何に扇情的に写すかに趣向を凝らした作品群。我々はそれを見るだけで少し幸せになる。

 もし宇宙から他の知的生命体がUFOでやってきたら真っ先にAV監督が拐われるだろう。UFOが監督の上空で静止し、強い光が監督を照らす。そして船内へ。

AV監督「お前ら!私をどうするつもりだ!」

宇宙人「急に吸い上げてしまい申し訳ありません。監督の作品を拝見させて頂きました。そこで一つお願いがあるのですが…私たちの種族であのようなビデオを作って貰えないでしょうか?」

きっとこんなことになるだろう。命を張ってポルノを撮る監督には頭が上がらない。

 

宇宙監督「そうそう顔に、雄の生殖細胞をかけるんだよ。」

宇宙男優「監督っ。そこ顔じゃありません。あっっ」

ピュッ、ジュワァ

 

姿形全てが違う種族だからこそこういうハプニングもある。顔だと思っていたものがペニスだったり。精液が強酸性なんてこともあるだろう。そういう困難を乗り越えて私達は多様性を認め合い、宇宙友和が完成するのである。

楽しくない氏、不幸オナニーをする

「俺来年ニートなんだよね〜」

 と語る男の股間はほとんど臨界状態にまで達していた。不幸オナニー。痛さは承知の上でついやってしまう。自身の置かれた状況をまるで悔いてないかような錯覚に陥る。そして器の大きさを周りにアピール出来ていると思い込む。そんな魔力があるのだ。

 しかし不幸を紛らわせてしまうそれは彼の身体を不健全なものにする。不幸はオナペットのためじゃなくて反骨的な何かを産むためにあるのだ。臨界している場合ではないのである。

 かつて男はこんなんではなかった。女に振られたショックで友人に電話して咽び泣いたこともあった。不幸を不幸のまま噛み締めて、ちんちんはシナシナになったものである。彼が今やっているのはいわばNTR好きを公言するようなものである。寝取られたショックを「まぁこれでも興奮出来ますから」と余裕なフリをすることによる自己防衛である。NTR好き人生ではなくNTR咽び泣き人生を望んでいるのだ

ねぇ、どんな音楽聴くの?

 激安チェーン居酒屋で私は喫煙室に居た。サークルの3人と来たのだが生憎、喫煙者は私だけである。喫煙室には既に大学生2人が煙草を吸いながらお喋りをしていた。

「じゃあ、同学年ってことですか?」

「そうだね、まぁ留年してるから歳はいっこ上かな。」

……

「ねぇ。どんな音楽聴くの?」

少しの沈黙の後にこう言うのである。恐らく今日が初対面か、ちゃんと喋ったのは初めてみたいな間柄だろう。言い回しがかっこ良すぎる。「好きな音楽は?」とか「音楽好き?」とかではなく「どんな音楽聴くの?」だ。音楽が好きなことは当然として、お前の趣向を試してやろうという意図を感じる。

こんなことを私が考えていると、喫煙室のドアが開き隙間から女子がぴょこっと顔を出した。「会計だよ〜」やはり女連れであった。

 モヤモヤしたので煙草を、フィルター間際まで吸う。そして自席へと戻る。冴えない同胞がいるところへ。ビールジョッキに手を掛けながら。席に勢いよく座る。ジョッキを軽く持ち上げて、ちょっと物寂しそうな表情を作って

「ねぇ、どんなAV観るの?」

AVが好きなことは当然として、お前の趣向を試してやろうという意図である。

【感想】セックスエデュケーションS3におけるI love you の重み

 ネットフリックスオリジナルの「セックスエデュケーション」シーズン3を見た。イギリスのティーンの性事情を主題に主人公とその同級生の青春を描いた作品だ。日本に居て、不本意な禁欲主義を貫く我々にとってあのドラマの性に乱れた青春はイカれたものである。誇張された性な気がしてならない。主人公は心の通じ合いを重視する人物だが、シーズン3ではセックスフレンドを持つ。我々の世界だとあまりそういうことはない。純朴な坊やはセックスフレンドを欲しないのである。しかし、セックスフレンド持ったときの主人公の心のもやもやは我々でも共感出来るものがあった。徐々にセックスは良いが心を見てほしいという欲望が生まれる。そして承認欲求でセックスフレンドを恋人にしようとする。

 シーズン3で私が驚いたのが「I love you」の重みである。主人公とセックスフレンドはめでたく恋人になり、電話にて女の子が字幕では「愛している」と言う。その返事として主人公は「うれしいよ」と言う。その後関係は悪化する。「うれしいよ」と言った主人公は「最低なクズ」だと皆に言われる。日本語だとそんなに違和感はない気がする。むしろ「愛している」に対してオウム返しをする方が変な気もする。しかし「I love you」は真剣に返さなきゃいけないらしい。そもそも日本語では電話であまり「愛している」なんて言わない。僕だけなのだろうか。

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