その間を行き来する

 4月3日、月曜日の朝に目が覚めたら僕は社会人になっていた。当たり前のように顔を洗い、当たり前のようにスーツを着て、ネクタイを締めてポマードを付ける。鏡を見て苦笑する。そして電車に乗れば大学生が居るので「青いな」と微笑み当たり前のように悦に浸るのである。研修はとにかく不快だった。上司は適度に怖いし、目標とか達成とか努力とか僕が嫌いな言葉ばかり使うから気分が悪かった。それから僕は、1週間毎日帰宅してから350mlの発泡酒と薄めの角ハイボールの水割りを一杯飲んだ。つまみなどは勿論ない。家に居る少しの時間を少しでも楽観的に過ごしたかったのだ。そんな感じで金曜日が終わった。

 

 目が覚めたら僕はまだ学生だった。13時まで寝ていたし、これからどこか散歩でも行こうかと言う気分になった。タバコを何本も吸ってから、重い腰を上げて近くの湖に行った。千波湖という一周3キロの小さいものだった。引っ越してきてからずっと気になっていた。言い忘れて居たが僕は東京から水戸に引っ越した。知らん街で働き知らん街で楽観的になっている。千波湖はそんな水戸駅から一駅離れたとこにある湖なのだ。

 自宅から千波湖に自転車をせっせと漕ぎたどり着くとそこには綺麗な桜が湖を囲んでいた。僕は3000メートルの旅路に出る。土曜日ということもあって千波湖にはカップルが蔓延っていた。キャッキャと声を挙げてアヒルボートを漕ぐ男女、桜の木の下のベンチで肩を寄せ合う男女、大きな白鳥を見つけてカメラを向ける男女。世のありとあらゆる男女がそこに居るのである。僕はそういう男女に少なからず嫉妬しながら湖を歩く。

 2000メートルを過ぎた頃だろうか。流石に煙草が吸いたくなったため僕は湖際の砂利が敷き詰められた場所に座った。僕のもとに餌を期待した馬鹿な鯉が寄ってきた。腰を下ろすとあたりの状況をゆっくり見ることができた。右手には湖と奥の山が見えた。そして左手には湖と水戸駅のビル群が見えた。そういえば僕はあそこで社会人気分になって居たのだ。学生の僕からするとほんとにアホらしい。

 

この場所から見ると水戸は湖の中に沈んでしまったように見える。伝説の大陸アトランティスのように。いうならばミトランティスだ。

「僕はこのミトランティスを探る探検家タノシクナイ。そこには入ると気分が悪くなるカイシャという迷宮があるのだ。」

なんてことを考えながらこれからその間を行き来するのである。

楽しくない大学生活

 昨日は大学の卒業式だった。卒業式はマジで苦痛だ。僕は写真を撮るのが苦手なのだが卒業式はそういう場所である。別に写真を撮らなくても良いけど撮ってないと楽しみきれていない感じがして、不足感を感じてしまう。僕はその不足感に負けてしまい何枚か写真を撮ったのだが照れてカメラから目を背けてみたり、ぎこちなく頬を上げてみたり散々な結果だった。

「楽しくない。」心の中でそう呟き続けたのである。

 

 学部の友人が僕に写真を撮ろうと誘ってくれた。とても嬉しかった。写真を撮って、それからお喋りをした。出会った英語コミュニケーションの授業のネイティブ先生のこと。プライベートな近況報告。僕はそれだけで幸福だった。なんだかんだで学部で4年間交流したのはこいつだけだったなとしみじみ思う。本当にありがとう。少しすると友人は周りをキョロキョロ見渡すようになった。僕との会話もおざなりになってきた。だから「他のところ行ってきていいよ」と言ってあげた。やっぱり卒業式は楽しくない。

 

 仕方なく一人で大学校内を闊歩していると、二回生頃まで話していた知り合いに出会った。「楽しくない君じゃん!」と言われる。そこそこ嬉しかった。でも考えてみると僕は2年間こいつのことなんか頭の片隅にもなかった。そして今日を境に二度と会わなくなる。そういう風に思うと申し訳なさと悲しさで、「ちょっくら話し込もうじゃないか」とはならなかった。

ハニカミながら、「おー久しぶり笑 お互い卒業おめでとう笑」

それは根性の別れの挨拶だった。すごく悲しい。即ち楽しくない。

 

 感染症対策の一環で学部ごとに集まって、卒業の書類を渡される。私は指定された社会学部の教室に居た。各々がゼミの教授と思い思いの会話をする。卒業証書をゼミの教授が授与し、慈しみに満ち溢れた声で「卒業おめでとう。」なんていう光景が広がっていた。しかし私のゼミの教授の姿はなかった。やむ負えない都合で欠席らしい。先生からは「ZOOMで少し話すことも可能」という提案がされた。あの空気感の中で少し照れくさいことを言いたかったのだ。なので私は、メールで感謝の言葉と、ついでに長いこと停滞してた就職が決まったことを伝えて別れたのである。

 

4年間大学で過ごしてもこの遠慮しがちな性格は変わらなかった。遠慮ばっかで楽しくない。楽しくないと愚痴を漏らしているときが一番楽しい。そんな学生生活であった。でもそれを聞いてくれる人も居たし楽しくないけど言うほど悪くはなかったのだ。この鬱屈だけど晴れ晴れした気持ちを忘れることなく社会人であり続けたい。

延々と続くであろう青春を思うばかりなのである。

イマジナリー風俗とNTRの本質

  私はひょっとするとまたパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。前に開けたのは高校2年生の時だった。アニメのヒロインが主人公以外の男と作った子供を抱えて来たのを見てなんとも言えない感情に襲われた。何が起きたのか分からなかった。しかしそこに猛烈なエロさがあるのは確かだった。行き場のない悶々とした気持ち。そういうものが私の脳を支配する。今日またそういうものを感じた寝取られてもいないのに。

 

不動産屋にて

 私は就職で地方に行くので新居探しのために不動産屋に行った。するとそこに居たのは水色のジェルネイルを施した茶髪の女店員であった。女子高生みたいなダボダボのセーターを着ている。まずそこで普通にスケベだなと思った。これに関しては男子が女子に標準的に覚えるスケベと相違はない。それから3件の内見に行った。部屋の中に案内される。しかし私は内見童貞であったため、いまいち何を見ればいいかピンと来ず5分も経たずに「ありがとうございます、もう大丈夫です。」と伝えた。部屋を出て車に戻る途中で「楽しくないさん、見るの早いですね笑」と言われる。その声が童貞を嘲笑する感じに聴こえて、赤面してしまった。

 そして店舗に戻って気に入った物件があったため申し込みをすることにした。アクリル板に仕切られたカウンターに座り、店員から記入の指示を受けた。申し込み用紙には就職先の会社について書く欄があり、業種が何に当たるのかを迷ってまごついた。するとカウンター越しで肘をつきながらギャル店員が用紙を覗き込んできた。

「会社で何するの?」

「う〜んだったらこれをマルすればいいかな」

 唐突なタメ口がそこにはあった。通常身につけるはずがないジェルネイルに茶髪、ダボダボのセーター。そんな身なりの女にあるはずない宅地建物取引士という肩書き、バレるわけがない童貞、つかれるわけがない肘、当然使われるわけがないタメ口。そういった不意の無礼の数々に脳震盪のような衝撃を受けた。私は初期費用として73000円を支払い、店をあとにする。店から駅に向かう途中、のぼせた体が徐々に冷めてきた。冷静に考えるてもやはりあるわけがない接客だった。もしかすると私は間違えて極めて特殊な風俗店に入ってしまったのではないかと不安になった。しかし後ろを振り返るとそこにはしっかりオレンジ色の看板の不動産屋があるのだ。明細を確認してもサービス料ではなくしっかり初期費用として精算されている。しっかり契約をすることが出来ていて良かったという安堵感と共にあの風俗店にはもう二度と行けないということを知り悲しくなった。後ろを振り返ってはいけない。強く生きなければ。

 

イマジナリー風俗を経てNTRの本質を考える

 不意な無礼これはかなり大きな括りの性癖だろう。NTRもここに含まれる。裏切るはずのないあの娘が、喜ぶわけがない他の奴のもので、出来るわけがない子供が。全ては不意な無礼で説明できるのだ。

 ここで一つ留意しておきたいのはNTR好きが寝取られてもそれは不意ではなく予期していた出来事になってしまうことである。不意がなくなると性癖として成立しなくなるだろう。だがしかし、NTR好きにとってそれは杞憂に過ぎない。どんなにNTRが好きと豪語していても、その場面に直面すれば誰でも不意な切なさに襲われることだろう。

 

また一歩NTRの本質に近づけた気がする。ありがとう店員さん。そしてさよならイマジナリー風俗嬢。

“僕はこの街を去る”バイアス

 私はめでたく春から社会人になる。そして初めての1人暮らしも始める。そう、僕はこの街を去るのだ。このイベントは主にとっては特殊性のあるものだ。例えば家族とする食事もあと1ヶ月後にはなくなるのだと貴重なものに思えてくる。そして“僕はこの街をひっそりと去る”と呟きながら最寄駅前を歩くとありもしない高校時代の恋路を昨日のことのように思い出すことが出来る。

 高校3年の雪の降るある日、靴下までビショビショになった足を憂ていた。こんな日にカッコつけて英単語帳を開きながら歩いたせいでページが引っ付く。

「勤勉ですね〜」斜め後ろから茶化したような声が聞こえた。今思えばあの日が始まりだったのだ。そして今もあの出来事を引きずっている。

 

 そういえば私は高校時代、チャリ通であった。危なかった…もう少しで戻れなくなるところだった。“僕はこの街を去る”というキラーフレーズは本当に危険である。私は発することでニセ情景を想像してしまうこの現象を“僕はこの街を去る”バイアスと名付けた。僕はこの病に悩んでいる。恐らくちょっとエモい感じで語ってるせいだ。言い方を変えてみよう。

”俺は地元を捨てる“

これを近所の公園で呟けば、喧嘩に明け暮れ拳を交えたマブダチとの思い出が蘇る。確かタイムリープをしながら恋人を救ったような…。

 

もーだめだ、だめだ。2つの検証から考えるに、”この街“は恐らくどんな形であれ私を縛っていくのだろう。いっそ開き直って”僕はこの街を去る“バイアスを持ってニセの美しい記憶と共に社会人になっていこうと思う……あの日夏のかんかん照りの中必死にサッカーボールを追いかけていた。学校には球の音だけが響く。厳しいはずの休日の練習は穏やかに時間が過ぎる……

久しぶりのエンコー

 最近、サークルの後輩主導の演劇に参加させて貰っている。4年生の2月という時期、大学生活最後の思い出を無理矢理作りにいっているみたいで気が引けるのが正直なところである。というのも4年生は僕しか参加していないのだ。1年生のときに抱いていた同期との演劇を通じた熱い友情という寒い目標は失敗に終わったのである。だから今は後輩に気を遣われながらやっている。非常に気まずい。それでも改めて演劇に触れると楽しい。僕としては珍しいことに役者をやっているのだけれど、無気力大学生たる僕が役では意気揚々と自分の旅行譚を語ったりする。あと、あんま親しめていない後輩と劇では仲良く喋れるのも嬉しい所だ。私はこの交流をエンコー(流)と呼んでいる。私はエンコーが好きだ。後輩からしたらある意味、援助的でもあるかも知れない。エンコーで役をシていると彼らとIFの世界線で会ってしまったような錯覚に陥る。この世界線でも君らに影響を与えてしまってすまないと思う。

 こういう演劇の話を外部の人間に話すと、よく羨ましがられる。大抵「熱中出来ることがあるのいいね」だとかつまらないことを言う。確かに楽しいのだが、楽しいのだが!……

そう思っていないとやってらんないのである。好きだと思い込む。そうすれば「演劇」だろうと「寝取られ」だろうと、ありとあらゆる理解し難いものを愛せるのだ。

賢明な若者は優先席に座る①

私は優先席を占領する 

 電車に乗っているとき席が殆ど埋まっていたら迷わず優先席に座るようにしている。20代前半の若者が優先席に踏ん反り返っているという構図を見たら「最近の若者はけしからん」とおじさんに言われるかも知れない。なぜわざわざ優先席に座るのかというと、優先者を選ぶ権利が欲しいからである。

 以前初老のスーツ姿のおじさんに席を譲る女子高生の姿を見たことがある。譲られたおじさんは還暦直前くらいの年齢だと推測できる。当然、現役意識はあるし事実現役である。もちろん「まだ俺はそんな歳じゃない」と言いたげな顔をしていた。よくある話である。面白いのはここからで数駅後にそのおじさんよりもおじいさん寄りのおじさんが乗り込んで来た。そしておじさんがおじさんに席を譲っていたのである。その時に分かったのである、優先席では若者が知らないところでおじさんが自分よりもおじいさんなおじさんを探して席を譲るという地獄のバトンレースが起きていることに。悲しいのはそのバトンは女子高生の好意によって始まっていることである。女子高生からすればおじさんもおじいさんも同じようなものである。どちらも相対的に老体なのだから。そんな好意が無下になってしまう状況を打破するために私は優先者選考の面接官として優先席に居座るようになったのだ。

 

おじさんには現役プライドがある

優先者選考で最も重要なことは現役プライドを見抜くことだ。間違っても「まだまだ自分はやれる」と思っているおじさんに席を譲ってはいけない。これに関してはある程度見た目で判断できる。おじいさんは次のような成長過程を持っている。

おじさん→中間期→おじいさん

30年くらいかけてゆっくりと成長していくのである。

若者でも大体、おじさんとおじいさんの区別は付くものである(まぁ先の女子高生は明らかなおじさんに譲っていたのだが)。選考ではその中間過程に当たる「おじさん」の精神性を見抜かなければいけないのだ。現役趣向か隠居趣向かを。ここを見抜ける人材でなければ面接官は務まらない。私は人の精神性を注意深く観察する習慣があったためこの度面接官に抜擢されたわけである。どんぐりの背比べないしおじぃさんの歳比べを未然に阻止するために私の面接官としての知見を共有したいと思う。これを読んだ方が可哀そうなおじぃさんと健気な女子高生を救う活動に邁進してくれれば幸いだ。

 

次項では本題に入っておじぃさんを四象限に分けて解説していきたいと思う。

 

人類が誇るべきもの【宇宙AV監督あるある】

 私は人類を誇りに思っている。この気持ちは殆ど人類が作るとある創作物に由来する。それはタイトルにあるようにAV(アダルトビデオ)である。同じ種族を如何に扇情的に写すかに趣向を凝らした作品群。我々はそれを見るだけで少し幸せになる。

 もし宇宙から他の知的生命体がUFOでやってきたら真っ先にAV監督が拐われるだろう。UFOが監督の上空で静止し、強い光が監督を照らす。そして船内へ。

AV監督「お前ら!私をどうするつもりだ!」

宇宙人「急に吸い上げてしまい申し訳ありません。監督の作品を拝見させて頂きました。そこで一つお願いがあるのですが…私たちの種族であのようなビデオを作って貰えないでしょうか?」

きっとこんなことになるだろう。命を張ってポルノを撮る監督には頭が上がらない。

 

宇宙監督「そうそう顔に、雄の生殖細胞をかけるんだよ。」

宇宙男優「監督っ。そこ顔じゃありません。あっっ」

ピュッ、ジュワァ

 

姿形全てが違う種族だからこそこういうハプニングもある。顔だと思っていたものがペニスだったり。精液が強酸性なんてこともあるだろう。そういう困難を乗り越えて私達は多様性を認め合い、宇宙友和が完成するのである。

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