マクドナルドで休憩する

 今日は営業で外回りをしていて、限界を感じ16時頃に休憩がてらマクドナルドに入った。中では学校終わりの高校生が注文の列を作っていた。なので僕はモバイルオーダーをして彼らが注文を終えるよりも前に、アイスコーヒーSサイズとアップルパイを受け取った。マクドナルドでお茶的なことをするにはこのセットしかない。あとは…ミニパンケーキくらいか?

 僕が大学受験で浪人していたときも決まってこのセットだった。参考書を片手にアップルパイを齧り、アイスコーヒーをストローでガブ吸いする。19歳に戻った気分になった。唯一変わったのは片手に有るのが顧客情報が書かれた資料になったことだ。休憩しきれないのは変わらないし、悪い癖だと思う。でも決してストイックな訳じゃない。こうやって休憩時間中も忙しくしている自分にちょっと酔っているのだ。その証拠に5分もすると読みかけの小説を取り出してしまう。

 

 僕が小説を読み始めたくらいのときに、二人の兄妹を連れた母親が僕の前の席にやってきた。10歳と5歳くらいの兄妹だ。お兄ちゃんの方は席に着くと同時にお母さんに買ってもらったてりやきバーガーの包み紙を取って大きな口で齧りつく。一口でバーガーの3分の1がなくってしまった。頬っぺたにまでべったりとマヨネーズが付いている。

 16時過ぎ、小学校から帰ってきてすぐにお母さんにおやつを食べに連れて来てもらうマック。「夕飯食べれなくなるよ」との忠告も無視して味の濃いテリヤキに齧り付く。あの子の顔は何も考えていない様子で、のほほんと幸せを享受していた。あの後は妹のナゲットを一つ勝手に奪ってちょっとした喧嘩になったんじゃないかと僕は睨んでいる。

 今度は10歳に戻った気分になる。母親の寵愛を一身に受けて、ほのぼのと過ごしていたあの頃に。僕は最近、仕事で気が滅入っているからか涙脆い。気付いたら小説なんか1ページも進んでいなかった。神経を使ってしまって、これっぽっちも休まりゃしない。しかし何故か店を出た後に新規の契約を取れてしまった。不思議である。あの休憩が無ければもう一件取れていたということである。

そんなんじゃ社会で通用しないぞ

 学生時代、何回か社会人のカスから「そんなんじゃ社会で通用しないぞ」とよく分からないマウントを取られたことがある。学生だから社会で通用しないのは当然だろと思っていた。

 社会に出てみると学生気分の自分、それも大学生ではなく小学生気分の自分ですら余裕で社会で通用することが分かる。あのカスは何を言っていたのだろうと今になって本当に呆れてしまう。上司も客も皆、僕をまだまだ社会で通用しない青い奴として接してくる。そして僕はその期待に見事に答える。期待に応えて恥ずかしい失敗をする。通用してしまうのだ。20代前半の社会人としては余裕を持って通用している。これを通用しているかと言うのかは微妙だけど、少なくとも期待には応えている。

 奴は30 代後半の社会を学生に喋っていたのだ。社会は一つじゃない。それはまるで小学生が高校数学を理解できないことに腹を立てるようなものである。中には理解できる子もいるかも知れない、公文式にハマった小学生とか。でも大半は理解出来ないし理解する必要性すらないわけで、そんな理不尽を要求するカスはカスでしかなかったのだと改めて思う。まぁ僕も年齢が上がるにつれて社会で通用しなくなってくるのかもしれないけど、少なくとも小学生に微分積分のテストを出すような真似はしないと思う。

痴漢に注意!

「痴漢に注意」

こんな文言の看板を時々東京で見かけていた。しかし茨城県に越してきて早2ヶ月一度も痴漢への注意を呼びかけられたことがない。茨城県には痴漢がいないのだろうか・・・。

 

 僕は営業マンとして毎日チャリで茨城の田舎路を爆走している。こっちの道路は歩道の補装が間に合っておらず大変走りにくい。午後3時、営業にも飽きてきてどこか公園でも行ってサボろうと目論みながら自転車を押し歩いていた。すると前から小学生の下校の集団がぞろぞろと向かってきた。そしてすれ違うなり1人の少女が「こんにちはー」と元気な声を発した。

田舎の小中学生はすれ違うと何故かあいさつをしてくる。僕は幼い頃から知らないおじさんと話しちゃだめよと教育を受けてきた。彼女らはそういう教育を受けていないのだろうか。痴漢にも注意しなければいけないだろうに。

現に僕は文字通りの意味で痴漢である。痴な漢なのである。夜な夜な忙しい合間を縫って自慰行為に勤しむし、仕事をサボりながらAV女優のツイッターを見たりしている。純粋無垢な小学生と比べれば相対的に痴漢すぎるのだ。小学生がそんな痴漢に話しかけていいのだろうか?

茨城県の片田舎のこの街では連日痴漢が跋扈している。しかもチャリで爆走している。だから「痴漢に注意」の看板を早急に設置するべきではないだろうか。しかもそんな風に痴漢として注目されるとより興奮してしまうようなド級の痴漢だ。野放しにしていいわけがない。縄で縛ってあげるべきではないか?

ドタキャンされた人は平等に助けられるべきだと思うんです

ヒルナンデスの取材班がフルーツサンド専門店でアポをドタキャンし、1000個あまりの在庫が出てしまったというニュースをご存じだろうか。

店主がインスタグラムで助けを求め、それが大拡散し無事難を逃れたという話だ。私はこのネットを通じた人の暖かさに感動したのである…

 

 

というわけで明日助けて下さい‼︎

 昨夜23時に会いませんか?という急なメッセージがあり当日の今日、エンカの時間20時に合わせて

頼まれごとは断らないをモットーに精子を急いで5億個製造

時間になっても姿を見せず連絡もない

性交渉予定時刻1時間後に「今日はやっぱいけません🙅‍♀️」と連絡が来た!

ふざけるなと思ったよ。この途方もない量の精子。我が子みたいなこいつらをゴミ箱に捨てるなんて出来ないだろ?

神様はまだ僕を試してくる。

戦おうじゃないか!

性交渉はこれだから面白い。

マッチングアプリはこれだから面白い。

人生はこれだから面白い。

最高の人生を歩むには俺自身がどうするかだろ?何人でも誰でも良いんでお願いします!

 

ネットって暖かいんですよね?ね?

 

都落ち士の初めての帰省

特急ときわ82号 7号車13 A 

特急券を買った。

足を何度も組み直しながら、ずっと窓の外を眺めている。水戸発東京行。僕は水戸のことをミトランティスと呼んでいる。だからなのかは知らないけどそこに住んでいるのに、水戸のことを実在が怪しいふわふわした都市だと思っている。いうならば都市伝説上の都市ってところだろうか。いやそれもややこしいな。

 

にしてもミトランティスと東京が電車一本で繋がっているなんて不思議だ。あと学生時代には縁もゆかりもなかったこの特急という乗り物に乗っているのも不思議だ。架空の都市ミトランティスと身近な東京。ここには大きな隔たりがある。だけれども特急で1時間もボーッとしてればもう見慣れた街になっている。

 

まもなく東京に到着します。

 

そう。あっという間に。一瞬で現実に引き戻される。舞浜から地元の最寄り駅に帰ってきたときのような既視感を感じる。本来なら職場のあるミトランティスに現実感を感じるべきだとも思うのだけれど、僕にとってはあそこは夢の国の亜種みたいなものだ。まぁもちろん悪夢の類ではある。

 

僕はいわば東京に生まれながら、地方に行くという都落ちをしたわけである。こういう状態になると、ガチャガチャした東京も一丁前にノスタルジーを醸し出してくることに気付いた。駅前にあったオードリーの春日が映るデジタルサイネージ、なんで僕はこんなもので郷愁しているんだろう。普通さ…ノスタルジーって夕暮れの商店街とかを見て感じるもんじゃないのか。都落ち士の僕にはセピア色の商店街ではなくてセピア色の春日が出迎えてくれた。もっと良い感じのシーンで郷愁(イキ)たかった。そう切に思う。ミトランティスの住人に戻るまでにどんな郷愁(イキ)方が出来るのだろうか。いろんなシーンが考えられるが、手始めに実家を試してやろうと思う。

 

 

ヤリモクNGの心理について

 最近私はマッチングアプリにハマっている。女の子と出会う最も簡略な手段の一つである。マッチングアプリで女の子のプロフィールを鼻息を荒くしながら見ていると、とある頻出単語が存在することに気づいた。それは「ヤリモクNG」である。これは「やる目的の人」はNGという意味であり、「やる目的」とは性行為が目的ということだ。それはまるで「性行為は目的ではなく手段に過ぎないんだよ」と私達、けだもの系男子を諭してくれているように思える。

 

まとめると

ヤリモクテキ→NG

ヤリシュダン→OK

ということである。しかし思うのだが、性行為を手段だと思ってするヤリシュダ男とは如何なものだろうか。

 

男女二人でお酒を飲みながら映画を見る。すると男の方から徐々に手が伸びてくる。腰に手が回る。これはあくまで手段として。

ことの最中に息を乱しながら、視界に映る一糸まとわぬ女を見て男はこう思う。「よしセックスしたし、これで仲良くなれるかな。目的に一歩ずつ近づいてるぞ。」

 

私としてはこんな奴を心の底から気持ち悪いと思ってしまうのだが、マッチングアプリを利用する多くの女性がこんなヤリシュダ男を求めていると言うのだから不思議である。

しかしヤリシュダになるのは困難を極めるだろう。なにせ性行為自体を楽しんではいけないのだ。その行為に愉悦を感じてしまうとヤリモク男と見なされNGを喰らってしまう。あくまでそれを手段として割り切る、そんな潔さが必要になる。はたして世の中にそんな男がいるのだろうか・・・・。

 

 

 熟考の結果、ある職業の男性だけがヤリシュダに該当することが分かった。それはAV男優である。彼らは性行為を生業としている。つまり「ヤリ」を手段として金を得ている。ヤリシュダのカネモクである。そう、つまり世の女性はマッチングアプリを使ってAV男優と出会おうとしていたのである。

 そりゃ私がいくら必死にアプリをやってもマッチングしないわけである。理由は私の職業がAV男優ではないからだったのである。ホントにその一点に尽きる。そういうことだったのか…。そもそもAV男優と出会おうとしている破廉恥な女などこっちからお断りだ。ふざけんな。一体男優と出会って何をして貰うつもりなんだ?ああ汚らわしい。

言いたいことを言えない

 社会人になるともうそれはガラッと人間の関係の在り方が変わる。上司が自分の話を聞いて何を思っているかなんて表面からでは全く分からないし、笑っていても腹の底から笑っていないのがよく分かる。だから間違っても職場の不満を漏らすなんてことは出来ないのだ。僕は本音で喋りたい。そんな想いを2週間以上抱えながら社会人生活を送っていた。モヤモヤが尽きない。

 しかし僕にはブログがあるのだ。職場の愚痴やありとあらゆることをぶちまけることが出来る。僕が本音で話したかったこと…。そう僕は本音を語りたかったのだ。真剣に。誠実に。

 

 事務の女性が冗談みたいなサイズの巨乳なんだ。もうそれは目を向けるなという方が難しい程に。これを語らずにして何を語るというのか。僕が4月1日、出社した時に「タノシクナイさんですか?」と呼びかけられる。声の主に目を向けるとそこにはデスクにずっしりと乗っかったそれがあったのだ。そういう時代じゃないのは分かってるし、そういう視線が嫌なのも分かっている。ただ条件反射的に目が向いてしまうのだ。

 

学生であれば男だけになるやいなや、目を合わせて「なんだぁあれ」から始まる本音の真剣な誠実な猥褻談義が延々と続くことだろう。けれども社会人はまるでそれに気付いていないように淡々と仕事の話をする。ほんとは目が行って仕方ないのに。言いたいことを言えない。「これが社会の厳しさか」と洗礼を受けた気分になった。僕はこの社会の荒波を揉みしだき…

コホン、、、

荒波に揉まれて生きていかなければならない。

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