大学の都合で2ヶ月弱もの夏休みを与えられて有効活用できる訳がねぇだろ

まずはじめに

 私は都内私立大学に通う大学生である。浪人を経て今の大学に進学した。浪人という経験があったからか私は大学というものへの憧れが人一倍強い。そんな私が大学生の理想像として第一に挙げたいのが精神的な向上である。精神的に向上心のないやつは馬鹿である。しかし実際大学に通っていると省エネ主義の利口ぶった馬鹿を腐るほど目にする(私もその一人なのだが)。つまり現代の大学生の大半は馬鹿なのだ。だからこそわざわざ面倒臭いことをして自らの精神を高めるというような意識高い大学生には憧れる訳で、頭も上がらない。

 続いてこの記事を書こうと思ったきっかけだがこれは簡単な理由で暇だからである。大学の都合でやることが無いのにもかかわらず2ヶ月弱もの休みを無理矢理与えられた20歳前後の若者はどのように振る舞えばいいのだろうか。これを有効活用できる者は決して多くないだろう。かく言う私もそれができない者の一人でありだからこそ夏休みの貴重な時間を使ってこんなくだらない記事を書いているのだ。そしてこの記事を書いているのが9月18日である。夏休みも残り数日しか残っていない。この考察が生かされる機会はもうないのである。この記事は無駄なのだ。しかし私はこのような無意味な2ヶ月弱を少しでもなにか意味があるものに変えたくて大学生の夏休みに関する考察を文章化した。私自身の稚拙さと固定概念が目に余る文章であるかもしれないが是非見てほしい。

 多くの大学生が夏休みを持て余している訳

夏休みとは何にも制限されることなく自由に時間が使える期間である。逆説的に言うと誰にも何も強制されず何もやらなくても許される期間である。そんな自由度が高すぎるが故に多くの学生が夏休みを持て余してしまっている。

  大学生といえば遊んで飲み会して性行為する生き物というのが通説であろう。夏休みとなればそれは顕著になり毎日が遊びに恋に大忙しというのを想像されるかもしれない。しかしそのような大学生はごく一部でありさらにそのごく一部の人の生活の中でもごく一部なのだ。そもそもそのようなことで埋まる夏休みが有効的なのかどうかというと些か疑問である。結局暇で手持ちの友だちで架空の充実を作り出しているだけなのだ。交友関係の広まりや新たな知見を獲得することなく既存の友達と毎回似たような会話をしているのは充実とは程遠いだろう。充実は主観的なものだと言われてしまえばそれまでかもしれないが、その場しのぎの楽しみは後になれば唯の過去以外の何物でもない。だから後の自分になにかを残せるような時間の使い方をするべきである。私達大学生は必死に考え抜いた夏休みをエンジョイしなければならないのだ。私はこのような苦境を強いた大学を憎んでいる。なぜお金を払ってこんな虚しさを押し付けられなければならないのだろうか。

 

 後の自分に何かを残せる時間の使い方とは?

 ここまでしてきたのは夏休みを遊びに全振りした大学生への個人的な嫉妬を基にする非難である。読んでいる人の中でそれならお前が思う理想の夏休みの過ごし方を教えろという声が出てきそうなのでここで明言しておきたい。20代前後の大学生が夏休みにすべきことは他の価値観に触れることである。日本のスタンダードな教育を受けてきた者ならば小学校から高校までクラスの中で同質性を求められさらに大学に入ってもサークル内の人間とばかり仲良くするといった学生生活を送っている人も多いのではないだろうか。もちろん皆が皆複数のコミュニティに属するということができる人ばかりではない。しかしだからといって他の価値観に触れることが出来ないわけではない。本、映画、音楽など様々なものから自分の知らない価値観を吸収できるはずである。また既存との友達の考え方について考えたりするだけでも良いのだ。そのようなことを重ねることで偏見を排除したより広いものの考え方のできるようになる。そのようなことに時間を使うことこそが真の充実ではないだろうか。少なくとも欲望のまま遊び倒したり、部屋の中に籠もるような夏休みを送るべきではない。

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