こんにちは、楽しくないです。最近楽しくないです。
楽しいことといえば煙草を人目を避けるようにぷ~すか吸うことくらいのものです。
私はこの春休み喫煙を始めた。始めた経緯は以下の通り。
最初こそ恐る恐る吸っていたが今となってはたばこの虜である。メロメロだ。そして最近になって現友、旧友、禁煙に成功した母、嫌煙家の父、嫌煙家の妹等に喫煙のことが知られてしまい、罵詈雑言の嵐を食らった。
「なんで始めたの?馬鹿なの?」
「格好付けてんじゃねぇよ」
「おいキモオタ」
「おっお~いキモオタ」
「なんか喋れよキモオタァ」
私のタバコを始めた経緯を簡単にまとめると年下女のしょうもないノリに乗ってしょうもない私がよりしょうもない人間と化したというだけなのだが、これだけ批判されると反論したくなるのが人間の性である。今宵は我が詭弁を駆使して罵詈雑言の主達をコナゴナにしてやんよ、という所存である。
詭弁パート
元々日本ではタバコは幅広い年代の男性を主戦場にその売上を伸ばしていた。その後女性がタバコは男性のものという価値観に対するアンチとしてそこに参戦した。タバコが圧倒的な多数派となると今度はタバコに対するアンチとして健康志向を掲げた者達が現れた。私が生きてきた二〇年間はまさにこの者達の台頭時期に当たる。恐らく罵詈雑言の主たちはこの健康志向を掲げたタバコアンチである可能性が高い。
罵詈雑言の主達をそのように仮定した場合、彼らは大したことのないように思える。彼らは圧倒的マジョリティであった喫煙者に対してアンチテーゼを気取ることにより微塵なアイデンティティを確保しているのに過ぎないのだ。いわば大衆に逆らう俺カッケーである。しかしながら今となってしまえば嫌煙家はもはやマジョリティと言える程にまで成長している。彼らは大勢に逆らっていると思っている哀れなマジョリティなのだ。やっていることはマイノリティ(喫煙者)の迫害に過ぎない。弱い者いじめでしかないのだ。
また私がタバコを吸い始めたこと自体も嫌煙家に対するアンチテーゼだと解釈してしまえば私のことを責めるのはより困難になる。嫌煙家達も私も何かに対するアンチテーゼを行っていることには変わりない。行動原理は一緒なのだ。自分を大勢に逆らうイケてる嫌煙家だと勘違いしている諸君よ、一緒に大勢(嫌煙家)に逆らうイケてる喫煙者にならないか?
まぁ罵詈雑言の主たちは僕の健康を本当に心配してくれてるんですけどねぇ。友達に誘われたから始めただけなのにこんな風に理屈っぽく語れるなんて、詭弁は恐ろしいと思いました!