アニメ版四畳半神話体系がめちゃくちゃ良かったという話

 四畳半神話大系、それは私が聖地巡礼をするほど愛している物語である。夜は短しから入って四畳半神話体系で森見登美彦の世界の虜となった。私は基本的にアニメ化には反対の立場を取る。基本的にアニメ化は然るべき理由がない。あるとすれば商業的理由ばかりだ。だからこそアニメには小説とは違った面白さ、メッセージ性等を期待したい。

 原作の四畳半神話大系はそれぞれ別のサークル、組織等に入った主人公の平行世界を全4章に分けて描く。どの道を選んでも悪友小津と出会い、黒髪の乙女明石さんとの恋が成就する。可能性ならぬ不可能性を描いた作品である。これは巻末の解説の受け売りである。

 一方、アニメ版四畳半神話大系では同じく第9話まではそれぞれ別のサークル、組織等に入った主人公の平行世界を描いていてどの道を選んでも悪友小津と出会い学生生活を後悔するのだが第10話、第11話ではその様相が変わり、小津と出会わなかった主人公が描かれる(結局最後は出会うけど)。四畳半世界に閉じ込められ小津というどの平行世界でも自分に干渉してくる人物、その有難みに気付いていく主人公。そして彼は四畳半世界を脱し小津に会いに行く。友情の再発見、不可能性。原作となんら変わりはない。しかし主人公は今まで9話に渡って描かれた平行世界とは異なる行動に出る。黒髪の乙女明石さんが探していたくまのマスコットキャラクターを手渡すのだ。そして主人公と明石さんは結ばれる。

 これまで原作、アニメで描かれた不可能性とは相反する展開である。これを改悪と見ることもできるかもしれないが私はそうは思わない。アニメ版主人公の全話においてこのくまのマスコットを手渡すという選択肢は開かれていたのである。主人公はそれを選ぶことはなかったが選択肢はあった。そのような意味で主人公には常に不可能性は付きまとっていたのである。好機は必ずやってくるがそこの選択肢を踏めるかは自分次第といった感じだろうか。割と臭いメッセージではあると思うが好機を全てものにした原作主人公と尽くものにすることができなかったアニメ版主人公という対比で見ると面白いかもしれない。原作とアニメもただの他の平行世界のひとつなのかもしれない。

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