僕は村上春樹の小説を理解出来ない

  僕は大学に入ってから小説を少し読むようになった。その動機に高尚なものなど一つもなく文学に勤しむ大学生への憧れを基にした猿真似に過ぎなかった。そんな僕が最初に手を取ったのが文学に関して何も知らない僕でも名前くらいは聞いたことのある村上春樹の「海辺のカフカ」であった。ブックオフで340円+税で上巻を買い、340円+税で下巻を買った。僕は1ヶ月くらいかけて上巻を読み2ヶ月くらいかけて下巻を読んだ。なんとなく面白い気がした。その後「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を同じくブックオフで同じくらいの値段で上下巻を買い同じくらいの時間をかけて読んだ。これまたなんとなく面白い気がした。海辺のカフカを読んでいたとき、僕は村上春樹をこよなく愛する人間と大学で出会い友達に友達になり彼は僕に村上春樹の単行本をくれた。そんなことを僕は二日前に思い出して本棚からそれを引っ張って今日読み終えた。「国境の南、太陽の西」という本だった。僕はそれを全く面白いと思わなかった。僕は村上春樹を理解できない体になってしまったのかと思った。しかし僕は元々村上春樹を理解などしていなかったのだと気づいた。

 

  二日間という短期間で読んでみて分かったことなのだけれど僕は村上春樹の小説を全くと言っていい程理解していなかった。もちろん村上春樹の小説の主人公が考える色々な事象に対する洞察は僕の心を打つものがあるのだけれど全体を通して何が言いたかったのかという点に関しては僕は全くと言っていい程考えが及んでいなかった。僕は村上春樹の小説の終盤で何を言っているのか分からなくなる。大抵ラスト四〇ページくらいは抽象的な概念のオンパレードになるので眠くなる。それでも頑張って最後まで読み切るけど結局頭の中に残るのは青春を生きる主人公の洞察であったりするわけだ。その言葉は僕に青春のあり方を教えてくれる。

  

  僕は村上春樹の小説を物語というよりは青春論の教科書として楽しんでいる。恐らく高尚なテーマに沿って書かれているのだろうが僕はそれが分からず随分と俗っぽい使い方をしてしまう。高尚に楽しんでいる方々には頭が上がらない。例えば「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は僕にセックスはデザートようなものであり、あるに越したことはないけど無くても構わないことを教えてくれたし、「国境の南、太陽の西」は女の子のスカートの中に手を入れることばっかり興味を持ってしまうことは歳を重ねれば少しは解消されることを教えてくれた。僕は村上春樹の小説を理解できないけれど楽しんでいる。読むのではなく使っているのだ。

 

 

にほんブログ村 大学生日記ブログ 文系大学生へ
にほんブログ村 jQuery('.icon-hamburger').on('click', function() { if(jQuery('.menu-container .menu').css('display') === 'block') { jQuery('.menu-container .menu').slideUp('1500'); }else { jQuery('.menu-container .menu').slideDown('1500'); } });