めいもーめいもーめいもー

 あらかじめ断っておくが本記事では、具体的なことは何も書かれないない。読者は僕の青春に起きた個々の事象について各々好き勝手推察してくれればよいし分かる人にだけ分かればよいと思っている。 

 あのまま僕が迷妄を押し通していたたらどうなっていただろう。今日という日において僕の青春という名の戦いは不戦という形で一応幕を閉じた。完膚なきまでの勝利を目指していた今朝の僕からすると至極不本意な結果であろう。しかしながら今人生で稀に見る清々しい気持ちで不戦後の夜を迎えているのはなぜだろう。僕のこの清々しい気持ちはあれが迷妄だと分かったこと、迷妄を上手く断ち切れたことに起因する。迷妄を迷妄と知らずそのまま押し通すと大抵ロクでもないことになる。今日の僕がもしそのような愚かな行動に踏みでていたら、仮にそれが僕の思惑通りに進んだとしても一人の友人を失い、どうしようもない共依存関係を手にしていたに違いない。そんな関係は必要ないのだ。まぁにしてもよくこんな膨大な迷妄を誤解できたものだ。ふと冷静になって振り返ってみるとそれは迷妄以外の何物でもないのにそのときはそれとは違うとっても尊いものに見えていた。

 恋は盲目だとか言うけれど僕達は恋をするまえに既に盲目に陥っている。迷妄を抱く。恋を認識しようとする己自身の観察眼が盲目なのだ。だから滅多に恋は観測できない。そして「恋は盲目」という言葉は仮に恋を正確に認識できたとしてもさらなる盲目が待っていることを僕に教えてくれる。気をつけなければ。今後も断ち切ったはずの迷妄が戻ってきたりだとか、また新たな種類の迷妄を抱いたりだとかをすると思う。僕はその度に迷妄と向き合わなければいけない。どんなときも推敲を怠ってはいけないのだ。丁度記事を書くのと同じように。

にほんブログ村 大学生日記ブログ 文系大学生へ
にほんブログ村 jQuery('.icon-hamburger').on('click', function() { if(jQuery('.menu-container .menu').css('display') === 'block') { jQuery('.menu-container .menu').slideUp('1500'); }else { jQuery('.menu-container .menu').slideDown('1500'); } });