人類みなネトリスト、そして恋愛錯誤野郎

  好きな人が居てその人を恋人にして独占するという行為は潜在的な彼女の”運命の人“から彼女を奪うということである。潜在的な寝取りである。我こそが彼女の”運命の人“なりなどと胸を張って言える人は本記事及び私と価値観が合わない人間なので異文化理解の精神がない場合はブラウザバックを推奨する。            

   彼女の人生において彼女と気があう人間は多く現れることだろう。自分もその一人だとしよう。しかしそんな数ある気があう人間の中で自分自身が最も優れているなんてことはまずないだろう。少なくとも努力をしている人間でないと数ある彼女の“運命の人”から彼女を寝とるなんてことをしてはいけない。恋をした人間に告白するという行為は彼女と気があう優れた男ランキングで1位を取ってやるというそういった気概が必要なのだ。それが出来て初めて「我こそが“運命の人”なり、“真実の愛”はここにあり」と声高に宣言することが出来ると私は考える。

  恋をするためには優れなきゃいけない。だから頑張る。しかしそうすると自分は色恋のために日々の努力をしていることになってしまう。恋愛がしたいから趣向を凝らしたブログを書くのか?恋愛がしたいから少しでも学問に励もうとするのか?恋愛がしたいから真面目な顔でアルバイトに励もうとするのか?恋愛がしたいから顔を赤らめながら彼女と必死で話をしようとするのか?それはそれで非常な自己嫌悪を催すものとなり、努力と色恋のジレンマにすっかりハマってしまう。努力をしていれば色恋が成就するなんていう世界観は恐らく私が幼い頃から読んでいた少年漫画から継承したものであり、参考文献が少年漫画ではお話にならない。とんでもなくとりとめのない文章になってしまった気がしてならないが、結局私が何を言いたいかというと私はとんでもない恋愛錯誤野郎だということだ。

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