愛してやまないはずのNTR
僕はNTR(ネトラレ)が好きだ。本ブログでもNTRの素晴らしさについて語った記事がいくつも書かれている。
僕はよくNTRについて考える。NTRの醍醐味といえば相手方の恋心が既に散っているのにも関わらず自分は想いを持ち続けてしまうという二律背反の状態である。そこからドロドロした嫉妬心や憎悪が湧いたり、相手への服従を強く感じたりしてとても言葉じゃ表しきれない快楽がやってくる。僕の場合とりわけ他の男に気が移っても相手を好きで居続けるという女性への服従感がたまらなく好きだ。NTRはマゾヒズムの極みだと思っていた。しかし最近になって自分はNTRには服従やマゾヒズムの要素など全く含まれていないことに気付いたのである。
寝取られという言葉について
寝取られとは自分の愛する異性が他の人間に取られることである。自分の女が他の男に取られるという表現はマゾの極みへと日々精進する僕としてはかなり違和感がある。自分の女ということは僕が愛する女性を所持していることになる。その所有物を他の男が盗み、所持するのだ。
NTR図解
僕が女性を所持しているなんていうのはとんでもない錯誤だ。僕は女性を目的語に出来るほど偉くない。僕は女性に保有されなければならない。そうでなければ僕は女性に服従しているとは言い難い。other boy が女性を所有するのは一向に構わないが、僕は女性を取られたのではなくて女性に捨てられたのだということを声を大にして言いたい。全く寝取られが好きなんて傲慢も良いところだ。今までの自分が恥ずかしくてしょうがない。僕みたいな人間がそんなありふれた幸せを求めたのが間違いだったのだ。僕が求めるべきものは寝取られなどではなく寝捨てられだったのだ。
NSR図解
僕が本当に求めていたものはNSRだった。NTR好きとはすなわち女性を所持していると勘違いしてる狂ったサディストの集まりだったのだ。女性に服従も出来ないとはなんとも情けない。