ブログを書いてて良かった。だからこそ良くなかった。

 ブログを継続

 このブログの設立から1年と3ヶ月が経過して、記事数も100を超えた。私の欲求不満をぶつけた記事の一つ一つが自分のどんよりとした青春を思い返させてくれる。この欲求不満がもし他の所に向かっていたら私は今頃どうなっていただろうか、想像するだけで恐ろしい。そういう意味ではブログを書いていて良かったと思わざるを得ない。私はサラサラとした青春よりもヌメヌメな青春を好む。いや卑猥な意味ではなくて。まぁでも卑猥なこともあるならあるで一向に構わないけどね。ヌメヌメとは湿気が強いという意味であって陰湿な感じのものを想起して頂けたら幸いである。ヌメヌメはしているがドロドロしていないのが私の青春の特徴である。うん、擬態語というものは難しい。

 

 ところで僕のヌメヌメブログ生活の中で一個だけ留意しておきたいところがあって、それが今読み返しても僕の雑多な記事達が面白いことだ。我ながらよくこんなことを書こうと思ったものだと感心してしまう。でもこれは自惚れなんかじゃなくて、むしろその逆で私はこのことを物凄く恥じている。過去の面白い記事を読む度に自分が成長していないことを強く実感する。それは文章能力というよりも感性の問題なのだと思う。感性が私の中で固定されてしまったのだ。

 

今の自分が嫌い

  感性が固定されてしまったということは私がこの先どのように成長したところでたかが知れてるということである。私は今の自分が何よりも嫌いだ。何かを見た時に出てくる言葉が気に食わない。自分が面白いと思っているものが全部陳腐なものに感じられる。嫌いだけれどそこに留まり続けていることが過去の記事をみると分かる。そうなるとこの1年間の存在意義が危ぶまれてきて、後悔を重ねることになる。私は私のまま大人になりたくない。いっそのこと誰か私の体を乗っ取って私を追い出してくれないだろうか。身体能力や頭脳に少々の問題はあるが、それを除けば至って普通の体だ。どなたか貰ってくれる方を募集しておこう。希望者はこちらまで→love_equal@ichigo.me

 

 冗談はこの辺にしておいて、結局この感性が成長していないという問題は私が独りで居すぎたツケが回ってきた結果なのだろう。何かを見て起きた感情を誰かに共有することもされることもなく、自分の中で処理をしすぎた。このブログがいい例なのだが。友達はいるけど感情を共有できる友達などほとんど居ない。いたとしても相手の感覚を知ろうとする意欲が薄いのかもしれない。感情の発露先となってくれる人をどこかに求めたい。軽い気持ちで書き始めたのだけれどなんだか深刻な感じがしてきた。私がすべき事はタイピングなんかじゃなくてお喋りだったのだ。この1000字超で私の病魔はまた拡大する。後味が悪い・・・

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