(伝われ)という表現に隠れた病について考える(伝われ)

 最近SNSを見ていて度々目にする表現がある。「(伝われ)」だ。使い方としては「【ちょっと理解されにくいと思われること】(伝われ)」といった感じだ。なんか括弧だらけで分かりにくいので実際に使われているツイートを引用しようと思う。

https://twitter.com/tayataya2828/status/1254320552543547392

 

 

 

こんな感じだ。このように理解されにくいと思われる「感覚」を書くのに多用される。単刀直入に言うと私はこの表現が嫌いだ。それを説明するためにこの表現を2つの要素に分けよう。

 

1.自分を少数派に位置づけることでのアイデンティティの確保

 (伝われ)は自分が一般的に理解され難い感覚を持っていると考えることで初めて使われる表現である。言い換えること自分の感覚がユニークだと思っているのである。ところがこの(伝われ)の使い手達が伝えようとしていることはある程度常識的なのである。わざわざ(伝われ)と付けなくても伝わる感覚を発信しているのだ。本当に自分の感覚を伝えたい訳ではなくて、自分が一般とは違う感覚を持っていることが(伝われ)なのだ。

 

2.表現の放棄

 百歩譲って、(伝われ)の使い手が自分の感覚を伝えたいと思っているとしよう。だとしたらなぜ(伝われ)などと言う表現を使うのだろうか。本当に自分の感覚を伝えたいのならば言葉にして伝えれば良い。そう感じた背景を書くだとかいくらでもやりようがある。もしかしたら全てを文章に書くのは野暮だという天才肌の人も居るかもしれないけど、だったら魅力的な文体にしてコピーのように書くのも良い。そんな色々な伝わる方法があるにも関わらず思ったことを殴り書きしていおいて(伝われ)など表現の放棄もいい所だ。この上ない怠慢である。1の要素とも重なるところだが結局それほど伝えたい感覚などないのである。

 

こうは言ったけども

 ここは少々過激な言葉を使ったことに対する釈明パートである。こうは言ったけども(伝われ)という表現は一過性の流行りである。SNSで見かけたし面白いから使おっていう人も多いだろう。ただこんな表現が流行ってしまう背景には先述のようなアイデンティティの危機だとか表現の放棄だとかいう問題が隠れているんじゃないの?っていう私の感覚である(伝われ)

 

 

 

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