時にはイキることも有用である

はじめに

 私はイキリが嫌いだ。自分の実力以上に良く見せる、そんな姑息な誇張をしようとするのが好きじゃない。だけれども先日友人に、「良く見せるのも実力のうちだ」という意見を貰って一理あると思った。だから今回は料理という例を使ってイキリを正当化してみようと思う。

以前私がしたより良くイキるための考察記事も良かったら見てほしい。

 

kuma2909.hatenablog.com

 

料理は体裁を気にする

 料理というものはもちろんその味も大切だが良く見えることも大事とされる。「良く」っていうのは「美味しそう」ということで、その見た目が美味しさに繋がるという考えだ。例えばレストランで出てくるコーンスープには乾燥パセリがかかっている。正直乾燥パセリの味なんか分からないし、いらない。だけれどもそれで彩りが加わり美味しそうに見える。

 もっと分かりやすく説明するために、Mr.イキリ料理こと速水もこみちYouTube動画を引用する。


#053 本場のイタリアンカルボナーラ〜Authentic Italian carbonara〜 #家で一緒にやってみよう #StayHome #WithMe

 

注目して頂きたいのは料理を盛り付けてからの仕上げだ。イタリアンパセリを散りばめ、胡椒を振りかける。また何故か料理のない皿の端にもパセリが置かれている。これらは味だけを見れば殆ど必要のないものだ。だけれども元々の味にオシャレ感が加わることでこれを食べる人は元々の味よりも美味しく感じる。このオシャレ感というイキリが大切なのだ。見た目という要素が味を大きく変えるのではないだろうか。

また速水もこみちの顔のかっこよさや清潔感、手際の良さ、調理器具のオシャレ感もイキリでこの動画を見る人は料理が美味しそうに見える。一見無駄だと思えるかっこつけも重要な役割を果たしている。

 

イキリも時には有用、だがしかし

 今回私がしたいのはイキリの批判ではない。イキることも時には有用だということを伝えたい。冒頭で述べた通り私はイキる人間が嫌いだ。無駄にイタリアンパセリを振りかけるように高い服を買って、美容に金をかけて、自分の能力をアピールする人間は消えたほうがいいと思っていた。しかし、料理を例にしてみるとイキることで生じるメリットもそれなりにあるし、体裁の良さが自分の味すら変えてしまうことが分かった。自分の魅力を最大限伝えるためのイキリは非常に有用だ。私も真似をしたい。

 ただ意見が変わらないのは体裁ばかり整えてもだめだということだ。あの速水もこみちの料理はオシャレで美味しそうだがもし食べてみて泥水の味がしたらどうだろうか。いくら体裁が良くても不味いと判断せざるを得ない。もともと美味しそうと思っていた分だけよりまずく感じる。泥水みたいな人間がイキるのは酷く無駄なのだ。体裁を整えることよりも先に食べられる味にすることが重要だ。私は自分を泥水のような人間だと自覚しているのでこの先も服や美容や口先のアピールに徹することは出来ないだろう。とりあえず真水になることを目指す、塩分や出汁はその後だ。周りにいるオシャレな人はきっと美味しい味がするのだろうから羨ましい限りだ。

 

 

 

 

MOCO飯 きみを笑顔にする料理

MOCO飯 きみを笑顔にする料理

  • 作者:速水 もこみち
  • 発売日: 2011/05/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

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