父の殺害 母との姦通 出来ない

  多くの神話において息子は父親を殺して、母親を犯す。こういうありふれた物語は時代を超えて何度も語られてきた。もちろん現代において父親殺しや母親との姦通は比喩でしかない。それが意味するのは親という子どもにとって絶大な存在からの自立である。僕には明確な反抗期というものがなかった。親が勝手に反抗期だと決めつけた時期こそはあるが。そのとき僕は確かに親への反抗を試みたが、「はいはい、反抗期ね。」といった非常にあっさりした態度を取られてしまいそれが恥ずかしくなった。それで止めた。そんなことがあって僕は未だ親の絶大な影響化から脱していない。しかしまだ僕は幸せな方だとも思う。児童養護施設なんかで育つ子どもはそもそも父親殺し、母親犯しの機会すら与えられていない。僕はその機会があったが逃してしまった。それだけの話なのだ。だからその幸せには感謝しつつ両親をぶっ飛ばす、そんな時期を伺っている。

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