二面性

 ほんわかキラキラしつつ苦しんで死にたくなる私

 私は感情が不安定だ。感情が良い方向に向かっているときははまるで美少女アニメの天然キャラばりのほんわかキラキラな明るさを発揮できる。(だからといっても私は可愛くともなんともないのだが)

  逆に感情が悪い方向へ向かっているとき私は自殺寸前の純文学作家ばりの意味分からない理屈をこねて世間への文句と自分への文句で苦しんで死にたくなる。(1回も自殺を試みたことはないが)

  

 美少女アニメの天然キャラと自殺前の純文学作家とはこれまたエラい違いだ。僕の精神性はけいおん!平沢唯太宰治くらい揺れ動く。対義語とも言っていいのではないだろうか。こんな出鱈目な対義が内在する人間がいるというのだからこれまた驚きである。多くの人間が私に平沢唯性を期待するのだが、蓋を開けてみれば太宰治だ。平沢唯を呼んで太宰治が来たらそれは興醒めである。私に太宰治程の思慮深さが無いのがその興醒め具合に拍車をかける。

 さらに特筆すべきなのはこのような感情の変化が日毎とか季節ごととかいうレベルではなく数分おきに切り替わるという点である。これ程までに極端なマルチタスクを行うと勿論私の疲労はどんどん増すわけであり、他のことに割く精神的エネルギーがなくなるのだ。その当然の帰結として私は女性との関係にエネルギーを割けず恋愛などロクにしたことはなく、また勉強にエネルギーを割くことができず志望大学から程遠い大学に入学してしまった。すべてはこういう性質の仕業なのだ(こういう言い訳をしていないとやっていけない貧弱な私を私は可愛らしく思う)。もし私がただ単に美少女アニメの天然キャラまたは自殺前の純文学作家であったのならもっとエネルギーが有り余っていたに違いがないのだ。

 

こういう性質の原因 

  こういう性質が私だけの特異なものなのかまたは他の人間もこういう極端な感情の変化に苦しんでいるのか私には知りようもない。なぜ私はほんわかキラキラしながら苦しんで死にたくなっているのか。人は一面的じゃない。ほんわか系美少女キャラクターだって死にたくなることだってある。だから私がこの二面性で苦しんでいる状態こそがリアルなほんわか系キャラクターの体現と言えるかもしれない。全面的にほんわかしているような奴はリアルじゃない。私こそがほんわか系美少女キャラクターなのだ。だから周りの人間はもっと私を愛でるのがよろしい。可愛くないけど。

にほんブログ村 大学生日記ブログ 文系大学生へ
にほんブログ村 jQuery('.icon-hamburger').on('click', function() { if(jQuery('.menu-container .menu').css('display') === 'block') { jQuery('.menu-container .menu').slideUp('1500'); }else { jQuery('.menu-container .menu').slideDown('1500'); } });