理性的に生きる才能

  先日ゼミで1万字のレポートを書いて、教授に提出した。このレポートは半月で仕上げたどうしようもないものであった。夏休みに行われた怠惰な生活の物的証拠に当たるわけでこれを教授に見せることに僕は億劫になっていた。しかし教授から返ってきたコメントは僕の予想に反して高い評価であった。レポートというのは世の中で起きている個別の事象を何かと理屈を結びつけて説明する行為だ。

 僕は思ってもいないことを尤もらしく説明することが得意だ。例えば「なぜ煙草を吸うのか」という問いに対して「それの持つ文化的な背景に憧れているのだよ」などという尤もらしいことを口にする。実際は数多の不純で救いようのない理由があるのだろうけど格好つけてそう云う。勿論カッコつけているというのもあるけど、それ以上に自分を納得させることを重要視している。うまく行かないことがあってもそれは自分の成長に繋がるなんてことを考えながら生きている

 成長というものは実に都合の良い言葉で、なんでも美談にしてしまう。友人と絶交したってその後の成長を見込めばなんだかいい話に思えてしまう。成長というのは後の人生へ負債を溜め込む行為でしかなくて、僕にはそんな負債が多すぎる。上手くいかないことが多すぎる。こういう葛藤を経て成長していくと考えなければやっていけないのである。

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