なぜ社会の窓が開いていると恥ずかしいのか

 

 よく考えてみると社会の窓すなわちズボンのファスナーが開いていて、それを恥じるのは意味がわからない。ファスナーが開きっぱなしなんていうことは実にありふれたことである。街を歩いていれば、ジャンパーの前を開けて歩いている人をよく見かける。彼らは恥ずかしいことをしているのか。そうではない。だから社会の窓に関する羞恥を考えるときファスナーの開閉自体に焦点を当てるのは間違っている。

 社会の窓とジャンパーのファスナーの最も大きな違いは、開閉している場所である。下半身と上半身の違いだ。下半身というのは基本的には他人に見せないため、そこが開かれている状態は羞恥に値するといったところだろうか。しかしながら、社会の窓の開閉によって性器が露出するわけではないためこの考え方にも少し疑問が残る。穿いているパンツの布が見えるだけである。さらに言えば社会の窓が開いていたとしてもパンツが見える程開かれることは滅多に無い。ますます何を恥ずかしがっているのか分からなくなってきた。

 この理由を解明するために男性、女性に分けてズボンのファスナーの開閉について述べていきたい。社会の窓と言われて、一般的に思い浮かぶのは男性のズボンのファスナーである。女性の場合仮にファスナーが開いていたとしても嘲笑の対象にはなりづらいと感じる。むしろ心配して小声で「開いてますよ。」なんて言ってあげる人が多いだろう。女性には特段恥じることはないし、そもそも開いていることも少ない。ということは社会の窓の羞恥は男性的な要素に起因するということになる。

 男性は社会の窓が開いていることが日常的に多発する。それは小便器にて社会の窓から性器を出して排泄をするからである。だから社会の窓が開いている状態は、そこから男性器を出していたことを生々しく感じさせることになる。他人に男性器が通った穴を見せることは普通ない。しかし日常の些細なケアレスミスで男性器の痕跡を友人、家族、恋人、通りすがりの人、コンビニの店員さん、席を譲ってあげた老婦人などに見せびらかしていることになるのだ。これはいうならば架空性器の露出である。そこにあったであろう性器を見せびらかしているのだ。これに快感を覚えるような人も中にはいるかもしれない。架空性器露出を我々は許してはいけないのだ。はて、私は何の話をしていたのだろうか。

にほんブログ村 大学生日記ブログ 文系大学生へ
にほんブログ村 jQuery('.icon-hamburger').on('click', function() { if(jQuery('.menu-container .menu').css('display') === 'block') { jQuery('.menu-container .menu').slideUp('1500'); }else { jQuery('.menu-container .menu').slideDown('1500'); } });