胸が締め付けられる瞬間

 僕が胸がギュッと締め付けられる瞬間は恋でもなく、友情でもない。子どもが純粋な思いで何かを欲しがるところを見たときだ。これは時々思い出すのだが、まだ小学生だったころに家族で小さな旅館に泊まったことがあった。僕には5歳離れた妹が居る。当時4歳の彼女が部屋の冷蔵庫にあったラムネを持ってきたのだ。だがそれは有料である。母親はそれに気づくなり、何も知らない妹に否定的な言葉を浴びせていた。結局しょげた顔で元の場所にラムネを戻す彼女。純粋な欲求が打ち砕かれた瞬間である。

 ある程度大人になってくると純粋な欲求というものが一切なくなる。もちろん何かが好きで行動することもあるが大抵の場合そこには邪推がつきまとう。例えば服を買うにしても、純粋に「良い!欲しい!」じゃなくて「これ着たらモテるかな」みたいな思考が介入する。そうなるとその欲求の尊さみたいなものが一気に無くなってしまう。身の回りがチープな感動ばかりになる。

 だから街で何も考えていなそうな子どもを見つけるとワクワクして眼をやってしまう。胸が締め付けられる。少年少女の愛くるしさとその儚さにグッとくる。それはそれは複雑な感動だ。もしかするとその瞬間を側から見たら眼を輝かしていたのかもしれない。でもこうやって深く考えてしまった時点で他の思考の介入は免れない。こうやってまた一つ一つ目の輝きを失っていくのだろう。その成れの果てが大人というものである。つまり自分を客観視することは毒だということだ。

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