【日記】堕落への道のりは遠い

はじめに

ここ最近私は半ば意図的に堕落を仕向けている。ここでは最近行った2件の堕落的試みを語りたいと思う。それは坂口安吾堕落論に従った結果である。解釈違いも甚だしいかもしれないが。

ソープランド

「楽しくないさん最近どうなんですか?」そんな後輩の言葉がきっかけだった。そこから悪ノリが加速してソープランドに行くことを決めた。どう加速したらそのような話になるのかは私が知りたいところである。そしてその場で今度行く約束もした。日を改め、酒酔いが抜ける。そうするとその約束に対する後悔が大きくなっていた。しかし口だけの人間になりたくないというちんけな抵抗から連絡をとった。しっかりその約束を果たしたのだった。そして果てたのだった。とても楽しかった。うーんこういうのは格好つけても仕方ない。あえてとにかく楽しかったと声を大にして言う。この場合、行動自体は極めて堕落しているのだけれど、約束を守るという堅実性も持ち合わせている。次の日の朝すっからかんになった財布を見ると自分は堕ちきれない性分であることを実感した。別に賢者とかじゃないんだからね。

オールナイト

次の堕落行動はオールナイトのイベントに参加し、朝まで踊り明かしたことだ。結果から言うとこれも特に堕ちきれなかった。そこでは好きだったアイドルが復活ライブを行っていたのだがそれを見て酷く感傷的な気持ちになった。そのアイドルグループは私が高校生だったときに知り、ライブに行くことなく解散してしまった。以降もずっと曲を聞き続けて、私の精神的支柱になっていた。そのことは以下の記事で語っている。

 

kuma2909.hatenablog.com

 

今よりもまだまだずっと幼かった高校時代の憧れを回収し、堕落なんかしている場合ではないという気になった。そのイベントには女性の友人と一緒に参加したのだが、ライブ中もみくちゃになっても身体に極力触れないように努めた。そして帰りの電車では感傷的な気持ちについて語り、お互いの健闘を祈りつつ別れた。堕落なんて一ミリも無かった。しまいには帰った後に数時間の仮眠を取ってから、せっせと卒業論文の執筆に勤しむ始末であった。なんとも情けない話である。

 

堕落するには?

 坂口安吾堕落論では堕落するときの堕ちきれない人間の弱さに注目し、そこから這い上がる活力を説いていた。しかし今の私は堕ちきれないというよりも、少しでも堕ちてしまうのが怖くて細い糸にしがみついているような感じである。堕ちる気も這い上がる気もない。そんな状態が嫌で堕ちようとしたのだが、自分の性分には逆らえなかったという話である。

 一度何もかも失うようなそういった状態になってみたい。万有引力の法則によって万物は下に引かれている。自重を支えようとさえしなければ地にひれ伏す他ない。であるならばこの手元にある、書きかけの卒業論文をゴミ箱に放り込むのが手っ取り早いだろう。しかしそんな簡単なことすら出来ないでいる。そもそも堕落を堕落として認識している者は堕落なんか出来ない気がするのは自分だけだろうか。

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