代償的クッキング

 僕は昨日近所のスーパーでキャベツ一玉と五食入りの焼きそば麺、そして500グラムの細切れ肉を購入した。そして家に着くなり、キャベツを4分の1切り、フライパンに油を敷く。細切れ肉に焼き目を入れてからそれを入れた。そのキャベツは膨大な量に思えたが、麺と一緒に炒めているうちにそのカサはみるみる減っていた。出来上がるころには茶色い麵によく馴染むことになった。出来上がりまで55分、この間僕は彼女との久しぶりの通話に勤しんでいた。二つのことを満足に同時進行出来ない故のこの記録(タイム)であった。肉、野菜、麺に付属のソースをかけたそれは簡素であったが格別な味に感じた。

 そして今日、上司の威圧に耐えてへとへとになって帰ってくる。冷蔵庫には大量の焼きそば用食材の在庫があり、ため息が出た。麺はまだしもキャベツや細切れ肉の命は短い。キャベツを4分の1切り、フライパンに油を敷く。細切れ肉に焼き目を入れてからそれを入れた。デジャブだ。もう僕は、どっさりしたキャベツに怯える必要はなかった。そこで咄嗟に炒めたそれらを皿に移した。再度多めに油を垂らして、そこに麺を入れた。揚げ焼きにするのである。そこからは僕の工夫は止まることを知らない。カリカリになった麺にキャベツと肉を戻し、付属のソースではなく余らせていた回鍋肉の素を入れた。昨日に増して照り耀く焼きそばを皿に移す。とどめにそのフライパンで賞味期限の切れた卵で目玉焼きを作る。それを乗せれば昨日と似て非なる料理が出来ていた。

 体感的な味は前に及ばなかった。今日は余り良いことが起きていない。ただそれら不満足の代償行為として、次に進む最初の一歩として工夫をした料理は十分に効力を発揮したのではないかと思う。

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