効率の良い生き方が嫌いだ、というより出来ない

  効率良い合理的()な生き方が賛美されがちな昨今。ビジネスマンならまだ分からなくもないけど大学生にもそんな風に時間を効率的に使えることを誇示する人がいる。例えばアルバイト、僕は最低賃金すれすれでアルバイトをしているのだが大学の知り合いの話によれば私は馬鹿らしい。時給の高いアルバイトをして、時間を浮かして浮いた時間で自分磨きをするべきだと力説するのだ。または時給が低くくとも学びのあるアルバイトをすべきとも言う。これはもっともらしく聞こえるかも知れない。アルバイトに時間を費やすくらいなら自分のためになることをしたほうが良さそうだ。そうやって自分を合理的だと思っていつまでも僕にマウントを取るのが良い。だが残念ながら僕にはアルバイトをしても余るほどの暇がある。(最もその暇を怠惰に寝て過ごすことが殆どなわけだが)僕みたいに暇な大学生がいくら時間を浪費しても浪費とは言えない。丁度ビル・ゲイツが1000万円の買い物をしても贅沢とは言われないのと同じで僕が5時間アルバイトをしても時間の浪費とは言えない。

 僕は効率の良い生き方が嫌いだ。女の子と向き合うなら四苦八苦する片思いを超えたいと思うし、悩みは誰にも見られないブログに吐露したい。旅行に行くなら鈍行列車を使うし、コンビニのレジ袋も貰わないで両脇に商品を抱えながら惨めに買い物をしたい。合理的が嫌いというより出来ないだけである。無駄なことをしても許される大学生という身分になれたことを心から喜ぶ。将来の夢は大学生であり続けることだ。持続不可能なので本気では思っていないが。僕は大学生であるから無駄なことをしている。つまりこれはこれで合理的である。合理性を否応なしに強要されるビジネスの世界に僕は大学を卒業したら入界しなければいけないがこの調子であればなんとかやっていけそうである。大学生だから非効率的であるようにビジネスマンだから効率的、そう上手くいくのだろうか?

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