社会人で孤独に耐えるのは辛い

 記事タイトルにあるような孤独がつらいというのは周知の事実なのだが、筆者が大学生だったときはあまり孤独が辛いことだとは思っていなかった。今考えれば、孤独ではなかったのかもしれないけども、そのときは明確に一人の時間が多くて、孤独を感じていた。あえて1限と5限だけを履修し、合間の8時間強の間、構内を一人で彷徨っていたのは今となってはいい思い出である。筆者にとって孤独はアイデンティティであり、それを体現した今の社会人生活はある意味、理想的だと言える。毎日車に乗って黙々と営業先を見つけて、商品を売る。どれだけ嬉しくてもしんどくてもクールを気取って、同僚には「まぁ頑張ります」としか言わない。そしてうちに帰ったら、すぐさまスーツを脱ぎ捨ててファンティアで有料会員になっている、脱ぐネットアイドルの投稿を見ながら自慰行為をしながら眠りにつく。理想的な孤独がここにはある。

 毎日会社から出て営業車に乗り込んで周りに人が居ないことを確認してから、奇声を上げるようにしている。上げてしまうわけではない、あえて上げている。この孤独ループのことを考えて悲観的になってしまうから、息切れを起こすくらいの声を上げて忘れるのだ。

 筆者が真の意味で孤独かと言われるとそうではない。実家では家族が帰ってくるのを待っていていたし、先日まで恋人もいた。大学時代の演劇サークルの後輩は老害たる筆者のことを嫌な顔せず公演へ招いてくれた。ただそういう助け舟を尽く卑屈になって避けている。いっそのこと鬱病にでもなって仕事を辞め、このループから抜け出してしまえとも思うが、鬱病になるほど勤勉でもないのでだらだら続けていければと考えている。少し経てば大学時代と同じように孤独にも味がでてくるというものだ。

ヘイ怠惰

 久しぶりに通っていた大学がある国分寺駅までやってきた。所属していた演劇サークルの打ち上げに顔を出して、そのあとの流れでカラオケに来た。途中、タバコを吸いに外に出ると国分寺の夜風にあたることができた。それはかつての怠惰を想起させる匂いがした。しかし、その怠惰はもう僕のものでは無くなっていたので悲しい気持ちになった。

 別にそれを賛美するつもりもましては惜しむつもりも無い。ちょっと奮発して買った高級ボールペンを無くしてしまって「うわー」と思う気持ち、それくらいの感情である。清廉潔白、純心、勤勉サラリーマンが凱旋しに来てやった。そう思うことにする。

音楽を聴けるようなるまで②

「お前、もっとEXILEとかカッコいいの聴いたほうがいいよ。」

そんな掛け声と共に僕の音楽暗黒期が始まった。今思えば聴く音楽を強制されるのは人権侵害だということが分かる。しかし当時の僕は、EXILEこそが真のイケてる音楽なのかと不良を信用した。だから、不良の兄貴(つまりそいつも不良)がWALKMANに入れたEXILEを羨望を込めて聴いてみたのだ。

頑張って一つのアルバムを全て聴いた。そして「カッコいい音楽」を好きになるために日常的にそれらを流した。そして3ヶ月程経ったある日に僕はどう頑張ってもEXILEの曲が好きになれないことを悟ったのである。それからの日々は非常に辛かった。表向きは「カッコいいEXILE」が好きな演技をして、家に戻ったらボーカロイドやアニメソングを聴く。ここでも「カッコいいEXILE」とアンチ的な「ダサいアニソン」という構図が生まれてしまった。この頃になると音楽はイケてる奴らのためのものなのだという意識がより顕在化した。

 

 2017年の春、音楽をまともに聴くことも出来ないまま僕は高校生になった。この頃になると中学の不良たちとは疎遠になっていた。そしていつのまにかWALKMANからは「カッコいい音楽」は削除される。中学のときの反省から僕は無理にイケてる奴らに気に入られようとするのをやめた。その結果僕はクラスで孤立した。クラスに1人はいる休み時間机に突っ伏す奴。それになった。外界との遮断と1人でも楽しんでますよというアピールのためにWALKMANに繋がったイヤホンを耳に入れる。音楽はそういうツールになった。

 ただ音楽を聴くという面では悪いことばかりでは無かった。クラスでは孤立したけど高校で入ったテニス部で、アニメソングやらをアンチ的ではなくて普通に楽しんでいる人たちと仲良くなった。暗黒期の不良らに比べれば、幾分も文化的に近い友人だ。だから彼らが薦める音楽は自然と馴染むことが出来た。この時に初めてアンチ的ではない音楽を知ったのである。彼らと一緒に、BUMP OF CHICKENとかRADWIMPSといった2010年代の若者なら誰でも通るアーティストを通った。アンチ的ではなくて。アニメソング×ロックバンドというのがこの時の好みだった。ダサいことがコンプレスックスの男子高校生でも受け入れやすく、程よくカッコ付けられる。心から「俺はカッコいい音楽を聴いてるぜ」と思えた。

「イケてる奴らのための流行りの曲」と「僕らみたいな奴のためのアニメソング」そんな凝り固まった二項対立から解放された時期であった。ただ今度は逆に身内で流行っているから、その音楽を聞いてみるという、これまた狭い音楽観になってしまったことも否めない。

今年を振り返る

 今年の印象的な出来事といえば、年が明けたことである。せっかく実家に帰って来たのに両親は既に寝ており、妹は友達と年を越しに家を出てしまった。仕方なくジャニーズカウントダウンを観ながら、実家感の薄い年明けを堪能した。その時に飲んでいたアサヒスーパードライはヌルくなり、最悪な味だった。それから友人との思い出も、思い返さずにいられない。3人の友人から年が明けた趣旨のLINEが届いた。「喪中なので…」という面倒臭いやり取りをして、しっかり気を遣わせた。そんなところか。

音楽を聴けるようになるまで①

 僕は音楽がとても好きだ。夜にお酒を飲みながら、好きな音楽を聴き身体を揺らす。その瞬間だけは僕は誰よりも楽しいのではないかという錯覚に陥る。一缶のビールだけで、バクバクとビートを刻むのが音楽を止めたときに分かる。情けないけど楽しい、そんな感覚になる。

 

 僕が音楽を聴き始めたのは遅かった。というのも音楽を聴くことがカッコいいことという感覚があるからだ。小学生のとき、流行りの音楽といえばGReeeeNAKB48あとはファンキーモンキーベイビーズとかだっただろうか。クラスのイケてるひとたちが聴いていた。一際覚えているのは、少年野球に入っていた3人組だ。彼らは今思えば早熟だったと思う。修学旅行に行ったときにはちんちんの毛がもっさりしていた。彼らは休み時間になると、歌い出す。一人は普通に椅子に座りもう一人は机に腰掛ける。もう一人は窓際にもたれかかり、歌う。ワン、トゥースリーのリズムのあとによくわからないハモリを入れながら。今の僕なら彼らのことを痛々しいと評価することが出来る。しかしながら当時はそれがカッコいいことなのだと思った。そして僕と彼らにある、イケ度合いの隔絶から「そういう音楽を聴き、楽しむこと」は「僕がしてはいけないこと」だと感じた。

 それから僕はアニメソングを聴くことにした。イケてる彼らが歌うGReeeeNと僕が聴く放課後ティータイム、アンチ的にそういう音楽を聴くようになった。そしてこの時に感じた「音楽はイケてる奴らのもの」という意識のせいで、今に至るまで人前で音楽を聞くことが苦手になった。ミュージック恐怖症とでも言うのだろうか。

 

 中学生になり僕はイケてるグループと仲良くしたいと思った。そんなときにクラスでアニメとかカードゲームにも精通している、不良を見つけた。そこを媒介にして僕はクラスのイケてるグループへの接触を試みた。作戦は驚くほど上手くいった。すぐに学校の不良に気に入られ(彼らは後に単車とかを乗り回すタイプの不良である)頻繁に遊ぶようになった。

 それに合わせて僕はPSPで聴いていた音楽を、当時の流行りの試聴手段であるWALKMANに移すことにした。ミュージック恐怖症の僕は、母親にWALKMANを顔を赤ながらおねだりした。「音楽を聴き楽しむことは恥ずかしいこと」そんな強迫観念が僕を支配していた。そして無事手に入れたあとにイケてる奴らのための音楽もCDを借りてそこに入れた。しかし誤算だったのは中学生にとってWALKMANは少し高価で注目されるものだったということだ。僕がそれを買ってもらったことを知るやいなや、不良が「使いたいから貸してよ」と言ってきた。不良様に逆らえるはずも無く、仕方なくそれを土日の間貸すことにした。事件が起きたのは週明けの月曜日だ。WALKMANに入った放課後ティータイムなどの僕が好きな曲を見た不良がこう言う。

「お前、もっとEXILEとかカッコいいの聴いたほうがいいよ。兄貴に頼んで入れてあげたから聴いてみ。」

この月曜日を機に、聴きたくもないカッコいい音楽を聴かされる日々が始まった。僕にとっての音楽暗黒期である。

a freshman in college

思えば僕は、大学1年生の9月18日以来ブログの更新を1ヶ月空けたことはなかった。

しかし今そういうことが起きているのは確かな異常事態であり、ということは僕自身の自己同一性に関わる大変な事態であるということをここに高らかに宣言したい。小泉進次郎構文を交えながら、Twitterと同等の文

 

 そんな未来のことを思いながら我はブログの記事を27日ぶりになんとか更新し始めたのである。辛うじて大学1年生のままであった。まだ数日余裕がある。大学を卒業して社会人になると大抵の軟弱者は大学生1年生ではなくなる。それに比べて我は19歳の頃から「これっぽっちも進歩なし」を達成し続けている。この誇るべきか分からないことをいつまでも続ける。その積み重ねが大事なんだ。

外斜視という才能

 10歳のとき、ある日の夕飯で「楽しくない!おーい…どこ見てんの?」と母に問いかけられた。僕は真っ直ぐに母のことを見ていただけなのに不自然なほど心配していた。そんな過保護な母は僕を眼医者に連れて行き、そこで外斜視であることがわかった。寄り目と反対側につまり外側に黒目が行ってしまう状態だった。斜視持ちの人と相対したことのある人は分かると思うが、黒目がぶっ飛んでいる様はとてもシラフには見えない。そりゃ母も心配するはずである。と言ってもその具合はそこまで悪いものじゃなく疲れると筋肉が緩んで左の黒目が外へ微妙にズレてしまうくらいのものだった。そんな母の過保護のせいでそれから1年間、目のトレーニングを余儀なくされた。毎日5分、30センチ程細長く切った方眼紙を左右の目を仕切るように眉間に押し付ける。僕の視界は左右に分断される。方眼紙の先っちょにはシナモロールの丸いシールが左右に貼ってあり、その目印を注視するというトレーニングだった。目印があるとなんとか左の目玉を正常な位置に行かせることが出来た。そのトレーニングの結果、外斜視は治りはしなかったがコントロール出来るようになった。意識をすれば目を内側に戻せるという状態だ。

 だから僕は人の目を意識するときは基本的に斜視を我慢して過ごしている。母の過保護のお陰で僕はなんとかシラフの世界に戻ってきたわけだ。コントロール出来るようになると外斜視はむしろ長所になると思っている。普通の人は目の筋肉を緩められない。可哀想なことに抜ききれない。なのに僕はどうだろうか、人が気を緩められない領域まで深い深度でボーッとする事ができる。外斜視に身を委ねているときの僕はもはや自我があるのか疑問に思えてしまうほどボーッとしている。外斜視中は声をかけられても直ぐに反応出来ない。というかしない。サウナ後の外気浴で僕よりも空気と一体化している人は恐らく居ないだろう。つまらない授業も眠ることなくあっという間に過ぎる。そして今も仕事を楽にしている。外斜視とは気を抜く才能であると僕は思うのだ。

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