ドタキャンされた人は平等に助けられるべきだと思うんです

ヒルナンデスの取材班がフルーツサンド専門店でアポをドタキャンし、1000個あまりの在庫が出てしまったというニュースをご存じだろうか。

店主がインスタグラムで助けを求め、それが大拡散し無事難を逃れたという話だ。私はこのネットを通じた人の暖かさに感動したのである…

 

 

というわけで明日助けて下さい‼︎

 昨夜23時に会いませんか?という急なメッセージがあり当日の今日、エンカの時間20時に合わせて

頼まれごとは断らないをモットーに精子を急いで5億個製造

時間になっても姿を見せず連絡もない

性交渉予定時刻1時間後に「今日はやっぱいけません🙅‍♀️」と連絡が来た!

ふざけるなと思ったよ。この途方もない量の精子。我が子みたいなこいつらをゴミ箱に捨てるなんて出来ないだろ?

神様はまだ僕を試してくる。

戦おうじゃないか!

性交渉はこれだから面白い。

マッチングアプリはこれだから面白い。

人生はこれだから面白い。

最高の人生を歩むには俺自身がどうするかだろ?何人でも誰でも良いんでお願いします!

 

ネットって暖かいんですよね?ね?

 

都落ち士の初めての帰省

特急ときわ82号 7号車13 A 

特急券を買った。

足を何度も組み直しながら、ずっと窓の外を眺めている。水戸発東京行。僕は水戸のことをミトランティスと呼んでいる。だからなのかは知らないけどそこに住んでいるのに、水戸のことを実在が怪しいふわふわした都市だと思っている。いうならば都市伝説上の都市ってところだろうか。いやそれもややこしいな。

 

にしてもミトランティスと東京が電車一本で繋がっているなんて不思議だ。あと学生時代には縁もゆかりもなかったこの特急という乗り物に乗っているのも不思議だ。架空の都市ミトランティスと身近な東京。ここには大きな隔たりがある。だけれども特急で1時間もボーッとしてればもう見慣れた街になっている。

 

まもなく東京に到着します。

 

そう。あっという間に。一瞬で現実に引き戻される。舞浜から地元の最寄り駅に帰ってきたときのような既視感を感じる。本来なら職場のあるミトランティスに現実感を感じるべきだとも思うのだけれど、僕にとってはあそこは夢の国の亜種みたいなものだ。まぁもちろん悪夢の類ではある。

 

僕はいわば東京に生まれながら、地方に行くという都落ちをしたわけである。こういう状態になると、ガチャガチャした東京も一丁前にノスタルジーを醸し出してくることに気付いた。駅前にあったオードリーの春日が映るデジタルサイネージ、なんで僕はこんなもので郷愁しているんだろう。普通さ…ノスタルジーって夕暮れの商店街とかを見て感じるもんじゃないのか。都落ち士の僕にはセピア色の商店街ではなくてセピア色の春日が出迎えてくれた。もっと良い感じのシーンで郷愁(イキ)たかった。そう切に思う。ミトランティスの住人に戻るまでにどんな郷愁(イキ)方が出来るのだろうか。いろんなシーンが考えられるが、手始めに実家を試してやろうと思う。

 

 

ヤリモクNGの心理について

 最近私はマッチングアプリにハマっている。女の子と出会う最も簡略な手段の一つである。マッチングアプリで女の子のプロフィールを鼻息を荒くしながら見ていると、とある頻出単語が存在することに気づいた。それは「ヤリモクNG」である。これは「やる目的の人」はNGという意味であり、「やる目的」とは性行為が目的ということだ。それはまるで「性行為は目的ではなく手段に過ぎないんだよ」と私達、けだもの系男子を諭してくれているように思える。

 

まとめると

ヤリモクテキ→NG

ヤリシュダン→OK

ということである。しかし思うのだが、性行為を手段だと思ってするヤリシュダ男とは如何なものだろうか。

 

男女二人でお酒を飲みながら映画を見る。すると男の方から徐々に手が伸びてくる。腰に手が回る。これはあくまで手段として。

ことの最中に息を乱しながら、視界に映る一糸まとわぬ女を見て男はこう思う。「よしセックスしたし、これで仲良くなれるかな。目的に一歩ずつ近づいてるぞ。」

 

私としてはこんな奴を心の底から気持ち悪いと思ってしまうのだが、マッチングアプリを利用する多くの女性がこんなヤリシュダ男を求めていると言うのだから不思議である。

しかしヤリシュダになるのは困難を極めるだろう。なにせ性行為自体を楽しんではいけないのだ。その行為に愉悦を感じてしまうとヤリモク男と見なされNGを喰らってしまう。あくまでそれを手段として割り切る、そんな潔さが必要になる。はたして世の中にそんな男がいるのだろうか・・・・。

 

 

 熟考の結果、ある職業の男性だけがヤリシュダに該当することが分かった。それはAV男優である。彼らは性行為を生業としている。つまり「ヤリ」を手段として金を得ている。ヤリシュダのカネモクである。そう、つまり世の女性はマッチングアプリを使ってAV男優と出会おうとしていたのである。

 そりゃ私がいくら必死にアプリをやってもマッチングしないわけである。理由は私の職業がAV男優ではないからだったのである。ホントにその一点に尽きる。そういうことだったのか…。そもそもAV男優と出会おうとしている破廉恥な女などこっちからお断りだ。ふざけんな。一体男優と出会って何をして貰うつもりなんだ?ああ汚らわしい。

言いたいことを言えない

 社会人になるともうそれはガラッと人間の関係の在り方が変わる。上司が自分の話を聞いて何を思っているかなんて表面からでは全く分からないし、笑っていても腹の底から笑っていないのがよく分かる。だから間違っても職場の不満を漏らすなんてことは出来ないのだ。僕は本音で喋りたい。そんな想いを2週間以上抱えながら社会人生活を送っていた。モヤモヤが尽きない。

 しかし僕にはブログがあるのだ。職場の愚痴やありとあらゆることをぶちまけることが出来る。僕が本音で話したかったこと…。そう僕は本音を語りたかったのだ。真剣に。誠実に。

 

 事務の女性が冗談みたいなサイズの巨乳なんだ。もうそれは目を向けるなという方が難しい程に。これを語らずにして何を語るというのか。僕が4月1日、出社した時に「タノシクナイさんですか?」と呼びかけられる。声の主に目を向けるとそこにはデスクにずっしりと乗っかったそれがあったのだ。そういう時代じゃないのは分かってるし、そういう視線が嫌なのも分かっている。ただ条件反射的に目が向いてしまうのだ。

 

学生であれば男だけになるやいなや、目を合わせて「なんだぁあれ」から始まる本音の真剣な誠実な猥褻談義が延々と続くことだろう。けれども社会人はまるでそれに気付いていないように淡々と仕事の話をする。ほんとは目が行って仕方ないのに。言いたいことを言えない。「これが社会の厳しさか」と洗礼を受けた気分になった。僕はこの社会の荒波を揉みしだき…

コホン、、、

荒波に揉まれて生きていかなければならない。

その間を行き来する

 4月3日、月曜日の朝に目が覚めたら僕は社会人になっていた。当たり前のように顔を洗い、当たり前のようにスーツを着て、ネクタイを締めてポマードを付ける。鏡を見て苦笑する。そして電車に乗れば大学生が居るので「青いな」と微笑み当たり前のように悦に浸るのである。研修はとにかく不快だった。上司は適度に怖いし、目標とか達成とか努力とか僕が嫌いな言葉ばかり使うから気分が悪かった。それから僕は、1週間毎日帰宅してから350mlの発泡酒と薄めの角ハイボールの水割りを一杯飲んだ。つまみなどは勿論ない。家に居る少しの時間を少しでも楽観的に過ごしたかったのだ。そんな感じで金曜日が終わった。

 

 目が覚めたら僕はまだ学生だった。13時まで寝ていたし、これからどこか散歩でも行こうかと言う気分になった。タバコを何本も吸ってから、重い腰を上げて近くの湖に行った。千波湖という一周3キロの小さいものだった。引っ越してきてからずっと気になっていた。言い忘れて居たが僕は東京から水戸に引っ越した。知らん街で働き知らん街で楽観的になっている。千波湖はそんな水戸駅から一駅離れたとこにある湖なのだ。

 自宅から千波湖に自転車をせっせと漕ぎたどり着くとそこには綺麗な桜が湖を囲んでいた。僕は3000メートルの旅路に出る。土曜日ということもあって千波湖にはカップルが蔓延っていた。キャッキャと声を挙げてアヒルボートを漕ぐ男女、桜の木の下のベンチで肩を寄せ合う男女、大きな白鳥を見つけてカメラを向ける男女。世のありとあらゆる男女がそこに居るのである。僕はそういう男女に少なからず嫉妬しながら湖を歩く。

 2000メートルを過ぎた頃だろうか。流石に煙草が吸いたくなったため僕は湖際の砂利が敷き詰められた場所に座った。僕のもとに餌を期待した馬鹿な鯉が寄ってきた。腰を下ろすとあたりの状況をゆっくり見ることができた。右手には湖と奥の山が見えた。そして左手には湖と水戸駅のビル群が見えた。そういえば僕はあそこで社会人気分になって居たのだ。学生の僕からするとほんとにアホらしい。

 

この場所から見ると水戸は湖の中に沈んでしまったように見える。伝説の大陸アトランティスのように。いうならばミトランティスだ。

「僕はこのミトランティスを探る探検家タノシクナイ。そこには入ると気分が悪くなるカイシャという迷宮があるのだ。」

なんてことを考えながらその間を行き来するのである。

楽しくない大学生活

 昨日は大学の卒業式だった。卒業式はマジで苦痛だ。僕は写真を撮るのが苦手なのだが卒業式はそういう場所である。別に写真を撮らなくても良いけど撮ってないと楽しみきれていない感じがして、不足感を感じてしまう。僕はその不足感に負けてしまい何枚か写真を撮ったのだが照れてカメラから目を背けてみたり、ぎこちなく頬を上げてみたり散々な結果だった。

「楽しくない。」心の中でそう呟き続けたのである。

 

 学部の友人が僕に写真を撮ろうと誘ってくれた。とても嬉しかった。写真を撮って、それからお喋りをした。出会った英語コミュニケーションの授業のネイティブ先生のこと。プライベートな近況報告。僕はそれだけで幸福だった。なんだかんだで学部で4年間交流したのはこいつだけだったなとしみじみ思う。本当にありがとう。少しすると友人は周りをキョロキョロ見渡すようになった。僕との会話もおざなりになってきた。だから「他のところ行ってきていいよ」と言ってあげた。やっぱり卒業式は楽しくない。

 

 仕方なく一人で大学校内を闊歩していると、二回生頃まで話していた知り合いに出会った。「楽しくない君じゃん!」と言われる。そこそこ嬉しかった。でも考えてみると僕は2年間こいつのことなんか頭の片隅にもなかった。そして今日を境に二度と会わなくなる。そういう風に思うと申し訳なさと悲しさで、「ちょっくら話し込もうじゃないか」とはならなかった。

ハニカミながら、「おー久しぶり笑 お互い卒業おめでとう笑」

それは根性の別れの挨拶だった。すごく悲しい。即ち楽しくない。

 

 感染症対策の一環で学部ごとに集まって、卒業の書類を渡される。私は指定された社会学部の教室に居た。各々がゼミの教授と思い思いの会話をする。卒業証書をゼミの教授が授与し、慈しみに満ち溢れた声で「卒業おめでとう。」なんていう光景が広がっていた。しかし私のゼミの教授の姿はなかった。やむ負えない都合で欠席らしい。先生からは「ZOOMで少し話すことも可能」という提案がされた。あの空気感の中で少し照れくさいことを言いたかったのだ。なので私は、メールで感謝の言葉と、ついでに長いこと停滞してた就職が決まったことを伝えて別れたのである。

 

4年間大学で過ごしてもこの遠慮しがちな性格は変わらなかった。遠慮ばっかで楽しくない。楽しくないと愚痴を漏らしているときが一番楽しい。そんな学生生活であった。でもそれを聞いてくれる人も居たし楽しくないけど言うほど悪くはなかったのだ。この鬱屈だけど晴れ晴れした気持ちを忘れることなく社会人であり続けたい。

延々と続くであろう青春を思うばかりなのである。

イマジナリー風俗とNTRの本質

  私はひょっとするとまたパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。前に開けたのは高校2年生の時だった。アニメのヒロインが主人公以外の男と作った子供を抱えて来たのを見てなんとも言えない感情に襲われた。何が起きたのか分からなかった。しかしそこに猛烈なエロさがあるのは確かだった。行き場のない悶々とした気持ち。そういうものが私の脳を支配する。今日またそういうものを感じた寝取られてもいないのに。

 

不動産屋にて

 私は就職で地方に行くので新居探しのために不動産屋に行った。するとそこに居たのは水色のジェルネイルを施した茶髪の女店員であった。女子高生みたいなダボダボのセーターを着ている。まずそこで普通にスケベだなと思った。これに関しては男子が女子に標準的に覚えるスケベと相違はない。それから3件の内見に行った。部屋の中に案内される。しかし私は内見童貞であったため、いまいち何を見ればいいかピンと来ず5分も経たずに「ありがとうございます、もう大丈夫です。」と伝えた。部屋を出て車に戻る途中で「楽しくないさん、見るの早いですね笑」と言われる。その声が童貞を嘲笑する感じに聴こえて、赤面してしまった。

 そして店舗に戻って気に入った物件があったため申し込みをすることにした。アクリル板に仕切られたカウンターに座り、店員から記入の指示を受けた。申し込み用紙には就職先の会社について書く欄があり、業種が何に当たるのかを迷ってまごついた。するとカウンター越しで肘をつきながらギャル店員が用紙を覗き込んできた。

「会社で何するの?」

「う〜んだったらこれをマルすればいいかな」

 唐突なタメ口がそこにはあった。通常身につけるはずがないジェルネイルに茶髪、ダボダボのセーター。そんな身なりの女にあるはずない宅地建物取引士という肩書き、バレるわけがない童貞、つかれるわけがない肘、当然使われるわけがないタメ口。そういった不意の無礼の数々に脳震盪のような衝撃を受けた。私は初期費用として73000円を支払い、店をあとにする。店から駅に向かう途中、のぼせた体が徐々に冷めてきた。冷静に考えるてもやはりあるわけがない接客だった。もしかすると私は間違えて極めて特殊な風俗店に入ってしまったのではないかと不安になった。しかし後ろを振り返るとそこにはしっかりオレンジ色の看板の不動産屋があるのだ。明細を確認してもサービス料ではなくしっかり初期費用として精算されている。しっかり契約をすることが出来ていて良かったという安堵感と共にあの風俗店にはもう二度と行けないということを知り悲しくなった。後ろを振り返ってはいけない。強く生きなければ。

 

イマジナリー風俗を経てNTRの本質を考える

 不意な無礼これはかなり大きな括りの性癖だろう。NTRもここに含まれる。裏切るはずのないあの娘が、喜ぶわけがない他の奴のもので、出来るわけがない子供が。全ては不意な無礼で説明できるのだ。

 ここで一つ留意しておきたいのはNTR好きが寝取られてもそれは不意ではなく予期していた出来事になってしまうことである。不意がなくなると性癖として成立しなくなるだろう。だがしかし、NTR好きにとってそれは杞憂に過ぎない。どんなにNTRが好きと豪語していても、その場面に直面すれば誰でも不意な切なさに襲われることだろう。

 

また一歩NTRの本質に近づけた気がする。ありがとう店員さん。そしてさよならイマジナリー風俗嬢。

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