長男だなという諦め

 4年ぶりに高校の同級生と会った。小学校から高校まで同じでなんとなく一緒に過ごしていた3人組だった。Aはとにかく自分の身の回りに起きた事柄を話すのが好きな人で、Bはそれの聞き役兼、Aのイジり先でCたる僕はたまにAかBに独自っぽい感想を喋って、たまにAやBにイジられて面白を提供する役目だった。高校生だった当時は二人の雑なイジりや自分を差し置いた会話をされるのに嫌気がさしていたときがあった。あれから10年経って喋ってみると気づくことは色々あって、まず僕が一番大人だった。話をしたいAには深掘りしてあげるし、そんなでもないBにはたまに様子を聞く。別に無理もしてないし、ちゃんと純粋に興味がある。

 彼らは長男じゃない唯一の友達だった。人生を振り返ると長男以外にはあまり近付かない。Aは双子で末っ子でBは一人っ子。当時は何も思ってなかったし、僕自身成長が遅かったこともあるけども改めて見るとAとBは末っ子と一人っ子だなと思った。

そんな性格ではないCが「二軒目はどうする?」「次の日程決めようよ」なんて提案をした。Aが女の子との出会いは一切ないこと、Bが最近婚約したことを喋るけどもCたる自分の話はしなかった。これは別に喋りたかったのにとかそういうことじゃない。シンプルにAとBの話を聞けて楽しかった。二人は少しも自分の話を出来なかったら絶対不満が残る。でもCは残らない。そういう意味で僕はすごくお兄ちゃんなんだろうと感じた。少し寂しいけども、高校生だったときと変わったベクトルでAとBに愛着を持った。二人が楽しんでいそうだと少し嬉しい。

ウィークポイント

 女の子と付き合おうとするといつも何故か涙が出てくる。しばらくそういうことがなかったので忘れていたけども、この前も女の子と付き合うときに涙が出てきた。なんとか間に枕があったので目元が隠れたことで事なきを得たのだけど、こんなことで度々涙を流していたら愛どころではない。この涙が何なのか未だによくわかっていない。嬉しかったり悲しかったりするだけで出ているわけではないのは分かる。

 涙というのは感情を悪戯に振り切らせたときに出てくる程度の低い感情の結果だと思っている。そういうスイッチさえ埋め込んでおけば誰でもどこでも涙は出てくる。アーティストの歌で泣いている人が居ても、ただそういう時期なのだとしか思わない。実際泣くのは気持ち良いし、泣けることを誇らしく思う気持ちが分かる。私が普段そういう冷めた目線を向けているのと同じように自分のこともそういう目線で見なければいけない。私には女の子と付き合おうとするときに反応するスイッチがあるだけで、何か情に熱いとかそういう良さそうな傾向はないだろう。あまり高尚なものだと思わないから出来るだけ涙ぐんでいるのは見られたくない。

 恐らく感情の発露、とりわけ愛情のようなものを出すのがとても苦手なのだと思う。赤ん坊が何か訴えたくても泣くことしか出来ないのと原理は同じだ。喉から出てきそうな手を見られるのに躊躇してしまう。こういうのは試行回数が少な過ぎることに起因するように思えるが、人生で何度か発露するタイミングはあったけど言語よりも先に液体が出てくる。ありとあらゆる液体だ。

 愛情が下手だ。いつを振り返ってもジメジメしてしまう。いままで習得してきたユーモアは湿度が高いと上手く機能しない。照れ隠しのユーモアが出来ないことにはつい閉口する。女の子じゃなくても慕い先輩や友人、妹などと愛情を持っても良い瞬間に発露しなかった回数は数え切れない。

実家に戻って来てからの散歩

 私は憂鬱な気分になりやすい。どうでもいいことで心がザラザラして落ち着かなくなる。心がザラザラしたときは、散歩をしながらエレクトリックな音楽で首を揺らして帰ったあと適度に疲れた身体で小説を読むのだ。これをすれば大抵、笑える憂鬱になる。やってはいけないのは、夜に散歩に行くことだ。あたりが暗いと気分が沈むのはもちろんのこと、気づいたら希死念慮丸出しみたいな曲を聞いてしまう。どうしようもないときはそういう音楽にも助けられるけど、憂鬱を深淵まで連れて行ってしまう。そういう時期はたまにでいいと私は思う。だからこそ昼にエレクトリックなのだ。

無職を始めてから、一日最低5kmくらいは散歩している。家の近くに広大な空き地があって、敷地の周りをなぞるように一周するのがいつものルートだ。そこは昔大規模な自動車工場があって、現在は宗教法人の土地となっている。何年も前から芝生と木だけが植えられていて土地を浄化している最中らしい。そんな有難い土地の周りを散歩させてもらっている。無職の徘徊は木を植えることと真逆の作用がありそうなので恐れ多い気持ちだ。

中では常に大型のルンバのようなロボットが芝生を綺麗にととのえている。まるで大きなサッカーコートでもあるのではないか思えるような土地にそんな機械だけが稼働している様子は、人間が絶滅したあとのディストピアを想起させるようでいつもぞっとさせられる。

 そんないつものコースの途中にはカラオケ館がある。交通の便が悪い場所にある店舗なのでフリータイム980円で歌えてしまう。通るときにいつも1時間くらい歌っていこうか迷う。なにせこっちはエレクトリックを聴いてノリノリなのだ。3日に一回くらいの頻度で誘惑に負ける。本来なら疲れた身体で小説を読むという任務があるのに、気づいたらカラオケで歌われることが少なそうな打ち込み重視の曲を歌っている。

そこのカラオケ館にはいつも16時くらいになるとキチンと手入れのされていないパサパサの金髪にサイドテールを施した男性店員がシフトに入る。とても不真面目そうな見た目だが、何気なくフリータイムで入ろうとする私にクーポンを活用した複雑でお得な入り方を教えてくれる。もう何回も顔を合わせているのに私はいつも初見のようなリアクションを取る。にもかかわらず親切は続く。

 カラオケに行ってしまった後には再び散歩道に戻るのだけど、それはもう散歩ではなくてただのカラオケ帰りになってしまう。同じ道だけど何か心持ちが違う。最初の数曲でまともに声が出なくなった弱い喉の枯れ具合を確かめるように、時折うめき声を出しながら家まで歩く。そして疲れ果てて夕寝を始める。

 

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金なし

 無職となってから早3ヶ月。本格的にお金が無くなってきた。お金がもしかすると尽きるかもしれないという感覚は大学生の時に週1で5時間しかアルバイトをしていなかったとき以来のもので、えらくドキドキする。自分のヒトとしての根源的な焦燥感が湧き出てくるのを感じる。

会社を退職してから実家に移ったので固定費はほとんどかからないのだけど、好きに遊んでいればいずれは無くなってしまう。所得がなければ無くなるのは当たり前のことである。頼みの綱は傷病手当の受給金である。私は病み切って到底仕事など出来ない状態になってから辞めたので受給資格がある。だけれども前会社からの離職票の送付が遅れたり、病院の事務局からの返信が滞ったり、私自信それらに催促が出来なかったり、遅延の責任を一身に受けて私はプチ困窮に陥っている。

 真実をいえば、私にはNISAでの積み立て投資がある。だから現金にすれば困窮からは遠ざかる。しかしNISAは無職となり好きに遊び呆けている私に、最後に残された社会的な要素なのだ。これを手放してしまうと後戻りが出来なくなるような気がしてならない。どんなに憐れみの視線を向けられたとしても、「まあでも積み立ててますから」と凛々しい顔をしていられる。有職も無職もNISAを前にすれば同列なのだ。

私のこの特権的な立場を死守するため、そして心身の健康を維持するためにも一時的に心を鬼にして、全ての関係者の遅延に対してクレーマー紛いの電話をかけていく所存である。働いているときには抱かなかったお金を稼ぎたいという野心。「営業マンは欲望とか野心があるから成長するんだ」と辞めた会社の偉めの上司からずっと言われてきた。

本部長。匿名ブログでのご報告になりまして申し訳ございません。遅らばせながら、わたくし野心を習得いたしました。

報連相を首尾よく出来た試しがない。

人気アイドルには会いにいけなくていいのかも

 アイドルの特典会といえばお金を払って恋をしている設定で、女の子に会って写真を撮り、その数秒後には他の奴と設定をやっているもどかしさを楽しむことが出来るイベントだ。地下アイドルに慣れ親しんだ私たちにとってこの特典会というのは、なくてはならないもので、ライブ後に何もせずに帰るのはどこか不完全燃焼を感じさせる。

 今日は、大覇権アイドルのFRUITS ZIPPER の特典会に行ってきた。

 

「こんな大覇権がたった3600円でわざわざファンに会ってくれるというのだから行かない手はない。どんなに短い時間でも目の前にいる推しを拝むことができる。そのご尊顔を拝見出来るだけで大満足だ。」

 

そういった感情を持ったファン向けのイベントとはつゆ知らず、私はガチ恋エチュードをしにその会場に向かった。結果から言うとトップアイドルと恋している設定というのは、そんなわけなさ過ぎて設定にのめり込めなかった。普通にご尊顔を拝見してしまった。

また、このファンと会うという仕事が彼女らにとってやりたい仕事ではないだろうなと感じられる部分があって、会いに行く必要がないと思った。

元々、FRUITSZIPPERは方針としてメンバー個人のやりたい仕事とやりたくない仕事を尊重しているところが安心出来ると思って好きになった。グラビアをやるメンバーとそうでないメンバーがはっきりしているのが有難い。アイドル活動を軸として芸能活動を健やかに広げていく様子が見たいのだ。

しかし、特典会に関していえばファンに会いたくないアイドルないしそういうサービスを行うのが過度に疲れるアイドルを表明出来るわけもなく全員参加せざるを得ない。ファンと会うことがアイドル活動の基本仕事に含まれているのが良くないのだ。

特に今日2ショットを撮りにいったメンバーは普段の仕事選びを加味するとあまりやりたくないのだろうと感じる。特典会がないと食っていけないアイドルでもないからわざわざ会いに行かない方がいいのかもしれない。ここまでアイドルの心情は全て妄想でメンバーは精一杯ファンサービスしてくれたから「ファン会い」業務には感謝しかないけども一日中ファンと顔合わせるのは当然重労働だし「特典会はやりません」と言うメンバーも居ると嬉しいなと思う。

 

大人になってしまった事柄の羅列

 他人の傍でぐっすり眠れるようになってしまった。人に対して多少は心を許せるようになってしまったのだ。次の日に残らない程度に酒量を自然と調整している。

 気づいたらご飯がそこまでたくさん食べられなくなっている。腹八分目で満足している。元々品行方正な胃に憧れていたけどあまりいいものではない。

 友人の婚約の知らせに涙ぐむようになってしまった。自分の状況との差を嘆いたりしなくなった。そういう負の感情が自然と湧いてくる自分が好きだった。でも好きな友人が幸せそうなのは順当に嬉しい。相手と出会って相手の人生上に物凄く深い爪痕を残す。そのような判断を時が進むにつれて当たり前のように出来る友人には頭が上がらない。浮いていない人間にシンプルな尊敬の念を抱くようになってしまった。

 一人でお酒を飲みに来た時の自分の鏡越しの姿が変に浮いていない。視線が落ち着いているしそれなりに人生経験を積んできた奴みたいな顔をしている。あまりにも童貞には見えない。かといって遊んでいそうっていう感じでもないけれども童貞感だけ膨らませた大人になってしまった。膨らませたら各部は薄くなる。「どっど…童貞じゃねーし」というセリフも言えない。嬉々として「うん、オレ童貞!」と言う。大人になってしまった。歪な大人になってしまった。

行き場がない

 好きが過ぎていると感情の持って行き方が分からなくてすごく窮屈な思いをする。先日大好きな曲で大好きなトラックメーカーが大好きな方向性でのリミックスがYouTube で配信されていて嬉し過ぎてそんな感覚になった。このリミックスで向こう数ヶ月私は生きていける。とんでもなく幸福なことなのに、胸が詰まりそうな感覚になってしまってまだ触りしか聴けていない。

 本当はインスタグラムのストーリーとかで、そのトラックメーカーのDJプレイを聴きに行った時の動画を投稿とかして少しでもこのギンギンな気持ちを抜きたいのだけれどそんなことでは満たされないのは分かりきっているからやらない。あのときの物販でアルバムを買いに行ったのに売り切れていて買えなかったのが大きな原因かもしれない。手持ち無沙汰であっさりと「おっ応援してます」としか話せなかったのも不完全燃焼な感じがあった。全く斜めから見ないでまっすぐな感情があるのに至って冷静なフリをしてしまうのだ。

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