ミトランティスマザー

 毎年恒例の年末が来た。「2023年も終わりかぁ」という感覚よりも恒例行事という感が強い。これは単純に僕が年齢を重ねたからなのか、それとも単調な生活の成果なのかは分からない。昨日が仕事納めということでそのまま帰省をしようかと考えた。しかしながら僕ももう大人なので一つやるべきことがあることに気付く。それはお世話になった人へのご挨拶だ。これをせずに年を越すなんて、恥ずかしくて出来ない。社会人になってからの2年間で僕は、礼節を大切にすることを学んだのだ。

 ということで帰省を1日半遅らせることを決めて僕は、電話をかけた。

 

「あ、もしもし〜明日、ちづるさん指名で入りたいんですけど空いてますかね?」

 

ちづるさん。巨乳ヘルス"ボインマックス水戸店"で働く、38歳のIカップ風俗嬢だ。僕は彼女のことを水戸のママと呼んでいる。帰省してマジママに会う前に水戸のママに会わないと歳は越せない。そう思ったのだ。

冗談抜きにして、彼女には今年お世話になり過ぎた。月1ペースで指名をして身を委ねていた。きちんと若者とおばさんという距離感で接してくれるところが気に入っている。若い風俗嬢相手にちょっとカッコつける悪癖が出ないで済むからだ。僕の精神の安寧は、彼女のおかげだったのだ。プレイの詳細を語るのは本文の趣旨から逸れてしまうので控えるが、水戸のママという称号に相応しいものであった。きちんと感謝も伝えながら店を後にした。

 

しかしながら、よく考えると38歳はママではない。13歳しか離れていない。少し現実を見たほうが良いだろう。恥ずかしいことに年齢自認が15歳の少年なのである。言うならばトランス少年だ。まさか読者の方は差別なんてしないですよね?辛辣な言葉が返ってくるのは分かり切ったことなので返事は聞かないでおく。トランス少年を唯一差別しないで居てくれるのが ちづるさんということだ。年末の挨拶をしないことを恥じる前にこっちを恥じた方が良い気がする。大学生気分どころか、中学生気分すら抜けていない。来年は、高校生気分に成長できたらと思う。土佐兄弟tiktokを予習しておこう。

ディッセンバージェラシー

 昨日、12月24日はカップルに対する妬み嫉みを言っても良い日、通称ディッセンバージェラシーだった。例年僕は、このお祭り事に率先して参加している。妬んでいいのは午前中までというルールに則り、Xにありったけの罵詈雑言を投稿する。午後からは自身の幼稚な攻撃性を恥じて憂鬱になりながら希死する。それがいつものディッセンバージェラシーだった。しかしながら今年はM1グランプリが同日に放送されるということで普段よりも心穏やかに過ごすことができた。お笑いが好きで良かったと思う。ただ原因はお笑い愛だけではなかった。

 

 クリスマス×一人暮らしのアパートというのが人肌の恋しさにどれほど影響するのかと身構えていたのだが実際ところ大したことなかった。極めて呑気に、M1のお供に唐揚げを揚げるなどしていた。

真面目な話をすると恋人が居ないクリスマスは、4年ぶりである。でも1回たりとも恋人とクリスマスを過ごしたことがない。気恥ずかしくて、逆張りで26日に出掛けたのが1回。免許合宿に行っていたのが1回。「関係的にギクシャクしていてクリスマスをどうこうではないよな」と思いとどまったのが2回。こんなことばかりであった。なおバレンタイン等のイベントも同様の失態を繰り返している。だから、恋人が居たとしても毎年ディッセンバージェラシーに参加してしまう。正当にクリスマスを楽しめる男性へのジェラシーだ。

いるはずの恋人を思い浮かべながら、自分の不甲斐なさを噛み締めるクリスマスを想像できるだろうか。あのときの人肌恋しさは筆舌に尽くし難い。目的なしに近所を散歩したり、ジェラシーを誇張して文章にしてみたり。そうでもしないと紛らわせない。でも今年は、令和ロマンの漫才を見ているだけで人肌のことなんか一回も思い出さなかった。特定の人の肌は恋しくなっても人肌全般が恋しくなるということはないということだ。

夏フェスに行きたいな

 今年の夏頃、大学時代の友人に夏フェスなるものに誘われた。その友人は所謂ミーハーと呼ばれる存在である。好きな漫画はワンピースでありKPOPをよく聞く。高校まで野球をやっていた。流行っているものこそが面白いと、真に思っているタイプだ。そんな彼がフェスに行ってみたいというのはごく自然の流れだった。というかミーハーらしく大学のうちに経験しておけよとも思った。僕は僕で、音楽が好きなものの友達が居ないので地下の暗いライブハウスにしか行ったことがなかった。フェスには興味はあるがあまりにも敷居が高い。そんな利害の一致で、フェスの申し込みを二人でした。しかしながらフェス童貞の二人はあまりにもフェスの抽選というものを舐めていた。

 もちろん前情報としてフェスは大人気というものを知っていたので、二人でそれぞれ二人分の申し込みをした。すると後日当然のように落選した。そんなのを5つのフェスでやっているうちに僕たちの夏が終わってしまったのであった。奥歯を噛み締めながら、友人がこう言う「フェスはもうないけど、今度こんなのやるらしいよ。」

そういって差し出されたのが、「ずっと真夜中でいいのに」の全国ツアーのホームページだった。そう今年、色んなフェスに顔を出していたヤリマンアーティストだ。僕は、そのときは既にフェス行きたい病でよく分からないテンションになっていたので「もうそれしかないな。」と馬鹿な返事をした。申し込みをすると、即当たった。半年先なのでそれまでに「ずっと真夜中でいいのに」の曲を聞いておこうと思った。

 そして今、そのライブが来週に迫っている。めちゃくちゃ行きたくない。ミーハーの友人からは「ずとまよ遂にだね」とLINEが来た。略しているのが本当に彼っぽくて腹がたった。なにかがおかしい。夏フェスに行きたかったのになんで冬ずとまよに行くことになっているのだ。ずとまよワンマンなら一人でも行けるんだよ。そう思いつつも最近は追い込みで最新アルバムを必死にリピートしている。肌に合わない。でもノれるようにはしておこう。

男の子の再確認

 バーベキューで、当然のように火起こしを出来る人が嫌いだ。肉とかを焼いて子供達にトングでよそってあげる。溢れ出るその父性にげんなりしてしまう。僕もバーベキューで肉を焼きたい。椅子やテントの設営も腕まくりをして手際の良さを見せつけたい。でも男っぽい仕事を自信満々にやって愉悦を感じている様がどうも気に入らない。僕が演劇サークルに所属していたときも大道具とか舞台設営だけはやりたくなかった。工具を手際良く使ったり、力仕事をする時にバーベキューのときのお父さんと似た愉悦が発動する。上手いこと言語化出来ないのだけど気持ちが悪くて苦手だ。

 しかし、それは他人がその場にいるから起こるものであった。今週僕は、一人でキャンプに行った。焚き火台に薪を並べて火を起こしてみたり、手際は悪いけどテントを設営した。父性はないつもりだけど、こういうワイルドな作業は楽しい。僕は腐っても男の子だということだ。男の子を再確認するような作業の連続。肉を直火で焼いて塩だけで食べてみたりした。こういう愉悦を感じるためだけの作業を他人がいるところでやるのは気が引けるなと改めて思った。だってこっちは男の子を再確認にしているだけなのに、勝手に作業をやってくれたことに対する感謝が生まれる。大変おこがましい。僕はこれからも父性が焼いた肉を頂く人生にしていくと心に誓ったのである。



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地元ノリ

 急に中学のときの不良系の同級生からLINEの着信が来た。ダルかったので、僕はそれを無視していた。僕らも25歳の立派な大人なのだから、そういうノリやめてくれと心底うんざりした。大学在学中にもこういうことがあった。「あいつ、懐かしくね」みたいな軽口から電話をかけていると考えられる。一回無視を決め込んだのにまたやってきたからイライラした。

 そんな風に怯えながら無視をしていると、辛うじて交友のある中学の同級生から電話がかかってきた。

「楽しくないさ、不良からのLINE見てないの?大事な連絡があるんだってよ」

いやいやいや。営業職に就いている俺を舐めるな。大事な知らせと大口叩いて話を聞いてもらうなんて初歩のテクニックだ。そんなものに引っかかると思ったら大間違いである。そうしてそれでも無視を続けていると、LINEの文面でこう来た「山口先生が交通事故で亡くなって、お通夜の案内したいんだけど電話出来る?」

中学1年生のとき、不良と同じクラスだったときの担任の訃報を告げられた。仕方なしに電話をした。「忙しいところごめんね。俺もびっくりしたんだけどさ〜」と、一丁前にこっちの忙しさを労い、手短にもしお通夜に来れそうだったら来て欲しいという旨を伝えられた。

いや大人過ぎる。それでもって同級生になんとか伝えなきゃという使命感で連絡を取り続けていたところも熱意に溢れていて、頭が上がらなくなった。一方でなんて僕はしょうもないことに囚われているのだと情けなくなった。「営業職に就いてるんだぞ」じゃないんだよ。

 

でも仕事で忙しいので、わざわざ中学卒業以来関わりもない先生のお通夜に行くつもりはない。当時30歳の山口先生は不良に良くない絡まれ方をしている僕を心配して、嫌だったら言わないとダメだよと優しく諭してくれた。おっぱいが大きかった。でもってタイトな黄緑色のニットを着ていた。そんなんだから放課後の教室で諭されながら勃起していたことを思い出した。あの黄緑色の膨らみが訃報を聞いた日の夜に夢の中に出てきたくらいだ。そんなことが一番の思い出である。先生のワースト生徒の一人だと思うので生徒総出の献花にお金を出すだけに留める。地元の人間にも会いたくないしね。

いい歳こいて

 先日、会社の所謂ダメダメ系のおじさん社員が上司から叱責を受けていた。「お前、いい歳こいてこんなことも出来ねえの?」 肩を落として「申し訳ありません」と言う先輩は目も当てられなかった。

 上司は同じ失敗をしても若い僕よりも"いい歳こいた"先輩を執拗に叱る。僕が若くて綺麗な女の子だったらその気持ちも分かるけど、生憎僕はただのシャイボーイである。同じ失敗で違う扱いを受ける先輩を可哀想に思う。そして、僕もおつむが悪く仕事が出来ない側の人間なので自分の将来を案じて戦戦兢兢としている次第である。

 僕は自分のちんちんは痛くなるほどに扱(こ)くけど、まだいい歳こいていると言われたことはない。先輩みたいに叱責を受けるのは御免だ。今年25歳だけどあと何年くらいしたらいい歳になるのだろう。ひょっとすると、今の高校生とかから見ると既に"いい歳こいて"しょうもない文章を書いていると思われるのかも。いい歳こいて、ちんちん扱いて、ブログ書いて申し訳ありません。

体育会系営業会社で言語センスが失われていく

 最近の僕はブログの下書きをしては保存して一向に投稿しようという気分にならない。それには明確な理由があって、単に書いたものが面白いと思えないからである。それなりに日々の生活は起伏があるので、ネタには困っていないのだがそれを上手いこと語れないという状況に陥っている。

 自分で言うのもなんだが、僕は言語センスがそこそこ良い方だ。というかそう思っていないとこんな風にブログを書こうと思わない。そもそも言語センスってなんだよという話になるが、洋服のセンスと同じでそのものに対する感度が高いのだ。例えば一時期比較的、好んで使っていた「推し」という言葉も今では夕方のニュースのトピックに扱われるくらいに一般化している。主婦層が認知して、子どもに「最近は、こう言うんでしょ?」と自慢げに使われた瞬間に流行り言葉はその生涯を終える。流行語ではなくて流行り言葉と表記するのも僕のセンスの現れである。よりニュアンスを正確にする。

 本題に戻ろう。僕は最近、このセンスが欠落していっている自負がある。状況を言い表すのに、"ありもの"を使ってしまう。ニュアンスの正確さよりも分かり易さとか、円滑さを優先する。そしてこの状況は今の仕事に原因があると思うのだ。筆者は営業職として、せっせとお客様に物を売っている。世間一般のイメージと相違することなく、営業には上司からの詰めというものが切っても切れない。上司は往々として、言っても仕方ないことを言ってくる。「なんで取れないの?」「〇〇は、取れてるよ。」「どうにかしてくれ。」そこで僕の後ろ向きな心の内を吐露しても、仕方がないので「気合入れます!」「絶対取ります!」「頑張ります!」と答える。すると上司はやや機嫌が良くなる。もちろんその後は大体契約ゼロで帰ってくる。商談の状況を聞かれたって、「あの客は、〜なタイプなんで〇〇で煽って受注します!」と答える。人を一見で判断してタイプを決めつけるなんてことを僕はしたくない。

 まぁ初めは、上司への若手社員プレイの一環でやっていたのだが言葉の力とは恐ろしいもので徐々に深いことは考えず、営業をかけるようになっていた。社会人としてはそれで正解かもしれない。でも出来るビジネスマンよりも面白人間になりたい僕にとってはそれでは困るのだ。「この後取れるの?」という問いに「シュレディンガーの営業マンなので観測されるまで分かりません。」と答えたい。脳死で元気いっぱい、楽しい!では困るのだ。でないと僕の今までの人生の意義が問われる。今までそういう人たちに嫉妬を向けていたけども、自分がなってしまうのは違う。いや、なれるのならいいのだけど言葉だけ浅はかになって「友達も恋人もいない孤独マンです」ではお話にならない。孤独はこの際受け入れるとして、俺は思慮深いんだぞという自負とともに過ごせたらそれだけで多少は幸せなのである。

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