体育会系営業会社で言語センスが失われていく

 最近の僕はブログの下書きをしては保存して一向に投稿しようという気分にならない。それには明確な理由があって、単に書いたものが面白いと思えないからである。それなりに日々の生活は起伏があるので、ネタには困っていないのだがそれを上手いこと語れないという状況に陥っている。

 自分で言うのもなんだが、僕は言語センスがそこそこ良い方だ。というかそう思っていないとこんな風にブログを書こうと思わない。そもそも言語センスってなんだよという話になるが、洋服のセンスと同じでそのものに対する感度が高いのだ。例えば一時期比較的、好んで使っていた「推し」という言葉も今では夕方のニュースのトピックに扱われるくらいに一般化している。主婦層が認知して、子どもに「最近は、こう言うんでしょ?」と自慢げに使われた瞬間に流行り言葉はその生涯を終える。流行語ではなくて流行り言葉と表記するのも僕のセンスの現れである。よりニュアンスを正確にする。

 本題に戻ろう。僕は最近、このセンスが欠落していっている自負がある。状況を言い表すのに、"ありもの"を使ってしまう。ニュアンスの正確さよりも分かり易さとか、円滑さを優先する。そしてこの状況は今の仕事に原因があると思うのだ。筆者は営業職として、せっせとお客様に物を売っている。世間一般のイメージと相違することなく、営業には上司からの詰めというものが切っても切れない。上司は往々として、言っても仕方ないことを言ってくる。「なんで取れないの?」「〇〇は、取れてるよ。」「どうにかしてくれ。」そこで僕の後ろ向きな心の内を吐露しても、仕方がないので「気合入れます!」「絶対取ります!」「頑張ります!」と答える。すると上司はやや機嫌が良くなる。もちろんその後は大体契約ゼロで帰ってくる。商談の状況を聞かれたって、「あの客は、〜なタイプなんで〇〇で煽って受注します!」と答える。人を一見で判断してタイプを決めつけるなんてことを僕はしたくない。

 まぁ初めは、上司への若手社員プレイの一環でやっていたのだが言葉の力とは恐ろしいもので徐々に深いことは考えず、営業をかけるようになっていた。社会人としてはそれで正解かもしれない。でも出来るビジネスマンよりも面白人間になりたい僕にとってはそれでは困るのだ。「この後取れるの?」という問いに「シュレディンガーの営業マンなので観測されるまで分かりません。」と答えたい。脳死で元気いっぱい、楽しい!では困るのだ。でないと僕の今までの人生の意義が問われる。今までそういう人たちに嫉妬を向けていたけども、自分がなってしまうのは違う。いや、なれるのならいいのだけど言葉だけ浅はかになって「友達も恋人もいない孤独マンです」ではお話にならない。孤独はこの際受け入れるとして、俺は思慮深いんだぞという自負とともに過ごせたらそれだけで多少は幸せなのである。

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