本当に楽しくない

 社会人生活が退屈なことは言うまでも無い。ペンネームとして"楽しくない"を名乗っている筆者ともなれば、そのことは殊更当然のことである。大学2年生の夏休みに楽しくない氏としてのキャリアを歩み始め、「鬱屈とした心持ち」だけをアイデンティティとして今日まで生きてきた。しかしながら、大学時代は事象だけを見れば本当に楽しいものだった。僕の大学生活はサークル活動と、ゼミでの研究、長期休みの旅行それと何人かの女の子に彩られていた。ただ、その当時の鬱屈とした思いは本物であった。楽しい環境に居ながら、自分の内向的な性格のせいで楽しさを存分に味わえていないという感覚があった。多分何度タイムリープして、大学生活になってもああいう鬱屈を繰り返す気がする。楽しいのに内に潜ってしまい、しんどい。そういう自戒の意味を込めたペンネームだった。あと自虐風自慢的な意味合いも多分に含んでいたかもしれない。逆張りが好きなのだ。楽しいはずの環境を「楽しくない」と嘆くことに意味があった。

 時が経ち、楽しくない氏も社会人2年目をそろそろ終えようとしている。大学時代と違って楽しいわけがない環境に身を置いている。であればお得意の鬱屈を発動させて、さぞかし社会人生活を満喫していそうに思える。だが実際は鬱屈すら出来ていない。社会人として、ハードワークをして家に帰ったときに鬱屈を嘆こうとすると心の奥深くから崩れ落ちそうな感覚になる。

 今まで磨いてきた自虐スキルが全く役に立たない。根暗大学生という世界観での自虐としがないサラリーマンという世界観での自虐は相容れないものがある。一人で喫茶店で本を読んだりしてどんより休日を過ごすのは良いけど、温浴施設に出掛けてサウナに入って清々しい気分になるのは何故か許せない。ナイトクラブに行ってお酒を飲んでみっともなくはしゃぐのは良いけど、ソロキャンプで夜空を見ながら焼いた肉と一緒にビールを飲むのは何故か許せない。どっちも「楽しくない」と自虐する事ができるけど前者の方がより鬱屈していられる。最近は後者をよくやるのだが、その度にこれまでのアイデンティティと辻褄が合わないぞと感じる。でも、日々の疲労を考慮すると自然に足が向くのは後者なのだ。鬱屈を自分が許せる形で嘆きたい。でも、鬱屈に耐える精神力が今はない。本当に苦しいのだが、人に相談して上手いこと言語化出来る気がしない。分かりにくい悩みが、増えていく。

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