社会人で孤独に耐えるのは辛い

 記事タイトルにあるような孤独がつらいというのは周知の事実なのだが、筆者が大学生だったときはあまり孤独が辛いことだとは思っていなかった。今考えれば、孤独ではなかったのかもしれないけども、そのときは明確に一人の時間が多くて、孤独を感じていた。あえて1限と5限だけを履修し、合間の8時間強の間、構内を一人で彷徨っていたのは今となってはいい思い出である。筆者にとって孤独はアイデンティティであり、それを体現した今の社会人生活はある意味、理想的だと言える。毎日車に乗って黙々と営業先を見つけて、商品を売る。どれだけ嬉しくてもしんどくてもクールを気取って、同僚には「まぁ頑張ります」としか言わない。そしてうちに帰ったら、すぐさまスーツを脱ぎ捨ててファンティアで有料会員になっている、脱ぐネットアイドルの投稿を見ながら自慰行為をしながら眠りにつく。理想的な孤独がここにはある。

 毎日会社から出て営業車に乗り込んで周りに人が居ないことを確認してから、奇声を上げるようにしている。上げてしまうわけではない、あえて上げている。この孤独ループのことを考えて悲観的になってしまうから、息切れを起こすくらいの声を上げて忘れるのだ。

 筆者が真の意味で孤独かと言われるとそうではない。実家では家族が帰ってくるのを待っていていたし、先日まで恋人もいた。大学時代の演劇サークルの後輩は老害たる筆者のことを嫌な顔せず公演へ招いてくれた。ただそういう助け舟を尽く卑屈になって避けている。いっそのこと鬱病にでもなって仕事を辞め、このループから抜け出してしまえとも思うが、鬱病になるほど勤勉でもないのでだらだら続けていければと考えている。少し経てば大学時代と同じように孤独にも味がでてくるというものだ。

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