2022年(度)を振り返る

 毎年のことながら、年末に今年を振り返る記事を書き出すのだがそのまま放置されて3ヶ月熟成したこの時期に改めて書き出す。年末は何かの区切りのようで日常生活が何も変わらず続くので、本意気で振り返ることが出来ない。僕らは年度に支配されているのだ。

 

仕事のこと

 僕が社会人になって1年が経つ。1年も経てば洒落でそう呼んでいた伝説の都ミトランティスも、水戸市でしかなくなってしまったし、冷蔵庫の中身には生鮮食品と呼べるものが一つも無くなってしまった。

 僕は営業職として会社で働いている。1年働いてみて分かったのは僕はこの仕事に向いているということだった。内気で誰とも上手いことコミュニケーションが取れない大学生が営業職をやることには大きな不安があった。実際、営業でも饒舌になることはなかった。しかし客とのおしゃべりは一時的で、その間は繕うことが出来る。その反面長期的に仲良くしないといけない社内での会話はすこぶる苦手だった。外回りで社内にいる時間が短いこの仕事は消去法で天職と言えるのかもしれないと最近は考えている。天職で暫くはもがいてみる、そんなところだ。

 

ひとりのこと

 一人暮らしを始めてから、土日に出掛けることが多くなった。これにはいくつか理由があって、一つは学生のときよりも暇な時間の価値がグーンと上がり何もしない1日が惜しくなった為。出不精な両親の文化圏から抜け出した為。そして何よりも孤独感を埋める為に出掛けている。孤独感を埋めるために一人で出掛けている。矛盾しているように見えて本当に矛盾している。これは一人でも楽しいぞという一種の意地っ張りみたいなものだ。実際のところ我に帰ってキツくなるときがある。

 この前は一人で茨城県常陸太田市に蕎麦を食べに行った。太田は一応観光地のような様相を呈している場所で、吊り橋や神社といった渋いスポットが有名だ。昼過ぎの蕎麦屋にはファミリーと老夫婦、そして若いカップルが居て1人客は僕だけだった。観光地価格の舞茸天ぷらと蕎麦を注文する。1人で車で50分かけて蕎麦を食べにくるなんて我ながらカッコいいと思った。俗っぽさなんて一切ない、自己完結人間、それがその日のテーマだった。けれどもそういうテーマを装うには少し弊害があった。目の前にいる奴らだ。カップル、家族、老父婦と人生のステージが目の前に一挙に並べられていた。それぞれが幸せそうに見える。しかもそんな幸せそうな奴らがこの渋い観光地を心から楽しんでいる。幸福度、感性諸々で劣っていて自分が情けなくなった。

 

異性のこと

 去年末に恋人と別れてから僕は風俗以外で女性とまともに会話をしていない。職場では業務的なことしか喋らないし特に女友達がいるわけでもない。女の子と一切接点がない生活もそれはそれで僕の空虚さに拍車をかける。

 そういう状況に際してかつて意中の人のSNS投稿を目にする機会があった。内容から他の男と楽しそうにしているのが想像できた。そこから立て続けに他の元意中の人のそういうものを目撃した(というか探した)。心苦しかった。それは吐き気が止まらなかった。そして堪らずシコった。

こういうので興奮できる人間であることを再認識し、自信が湧いた。

追記:エイプリル・フールで嘘をついた本当は咽び泣いた

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