強いて言えば趣味は"ラジオ"

 「趣味は何?」と聞かれると返答に困る。適当にコンテンツを見たりしているが趣味と語っていいほど現在進行形で熱意を向けているものはないんじゃないかと考えすぎてしまう。かつての僕だったら妄想あるいは、それに付随する脚本書きなんてものが熱意の中心だったと思う。

しかし就職をしてからというもの、フィクションはあくまでフィクションという考えが芽生えてきて生活の中心が現実世界になってしまった。そんな中で強いて、趣味を言うなら「ラジオ」という答えになる。

 

 昨日は、"オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム"というイベントに行った。東京ドームという箱はラジオイベントとしては規格外のキャパシティである。会場に5万3000人、配信やライブビューイングも合わせて16万人があのライブを見ていたというのだから驚きである。

会場に着いたときラスタカラーのグッズに身を包んだ多勢を見て、正直その勢いに引いてしまった。私にはない熱意を向けた趣味を感じた。普段一人で、ボケーっとしながら聴いているラジオ。オードリーの二人の会話をコソッと盗み聞きしているような感覚だ。こういう光景を見ると、あの放送が自分が思っていたよりも開放的だったことに気付く。同じ放送を共有出来ている嬉しさ半分と、自分だけのオードリーという特別感が薄れてしまう寂しさ半分という変な気持ちだった。

 

  イベントの開演後、オードリーの二人が出てきてラジオブースを模したセットに腰をかける。東京ドームでいつもの空気感のトークを繰広げる。いつもはイヤホンを通して耳をすまして聴いている二人の声。それが今は、目の前に居る。開演前はざわざわしていた気持ちが一気に落ち着く。声を聴くだけで落ち着くなんてちょっと宗教じみていると思う。イベント発表から当日まで1年近くあったため、その光景をずっと想像していた。強いて言えば趣味はラジオ。そこに強い熱意などない。でもいざ目の前で声を聴くと、この人たちのラジオを随分と、楽しみにしてきたんだなと感じる。そんな不意の気づきで、トーク中に涙が出てきてしまった。「お笑いのトークをしている人の前で泣くのはマズいだろ」とも思ったがほんとに止まらなかった。私の生活を実は支えていた2人がそこに居ることが感慨深かった。また何より「そんなことを会場の皆が感じているのだろうな」という一体感が堪らなかった。

 

 話は戻り、やっぱり私には何かへ特段の熱意はないと思う。強いていう趣味の「ラジオ」だってなんとなくぼんやりと聴くだけだ。不意に泣いてしまったからといってもそこはブレない。

でもラジオパーソナリティとラジオリスナーの関係というものは不思議なもので、アイドルオタクがアイドルに向けるようなほとばしるような熱意はなくてもなんとなく聴いてなんとなく親しみを持っている。もちろんそこにほとばしる熱意があるに越したことはないのだけれど、そうではなくても聴いてるだけで輪に入った気分になる。パーソナリティへ「好き」という気持ちを返すわけでもなく空気感を受取るだけだ。でもそれが本当に心地良い。全くもって、ほとばしらないけども6年間も番組を聞き続けている。今回のドームイベントでちょっとだけほとばしったからこうやってブログに書いている次第だ。

15年の歴史ではまだまだ新参リトルトゥースだけど聞き続けます。

 

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