昨日は大学の卒業式だった。卒業式はマジで苦痛だ。僕は写真を撮るのが苦手なのだが卒業式はそういう場所である。別に写真を撮らなくても良いけど撮ってないと楽しみきれていない感じがして、不足感を感じてしまう。僕はその不足感に負けてしまい何枚か写真を撮ったのだが照れてカメラから目を背けてみたり、ぎこちなく頬を上げてみたり散々な結果だった。
「楽しくない。」心の中でそう呟き続けたのである。
学部の友人が僕に写真を撮ろうと誘ってくれた。とても嬉しかった。写真を撮って、それからお喋りをした。出会った英語コミュニケーションの授業のネイティブ先生のこと。プライベートな近況報告。僕はそれだけで幸福だった。なんだかんだで学部で4年間交流したのはこいつだけだったなとしみじみ思う。本当にありがとう。少しすると友人は周りをキョロキョロ見渡すようになった。僕との会話もおざなりになってきた。だから「他のところ行ってきていいよ」と言ってあげた。やっぱり卒業式は楽しくない。
仕方なく一人で大学校内を闊歩していると、二回生頃まで話していた知り合いに出会った。「楽しくない君じゃん!」と言われる。そこそこ嬉しかった。でも考えてみると僕は2年間こいつのことなんか頭の片隅にもなかった。そして今日を境に二度と会わなくなる。そういう風に思うと申し訳なさと悲しさで、「ちょっくら話し込もうじゃないか」とはならなかった。
ハニカミながら、「おー久しぶり笑 お互い卒業おめでとう笑」
それは根性の別れの挨拶だった。すごく悲しい。即ち楽しくない。
感染症対策の一環で学部ごとに集まって、卒業の書類を渡される。私は指定された社会学部の教室に居た。各々がゼミの教授と思い思いの会話をする。卒業証書をゼミの教授が授与し、慈しみに満ち溢れた声で「卒業おめでとう。」なんていう光景が広がっていた。しかし私のゼミの教授の姿はなかった。やむ負えない都合で欠席らしい。先生からは「ZOOMで少し話すことも可能」という提案がされた。あの空気感の中で少し照れくさいことを言いたかったのだ。なので私は、メールで感謝の言葉と、ついでに長いこと停滞してた就職が決まったことを伝えて別れたのである。
4年間大学で過ごしてもこの遠慮しがちな性格は変わらなかった。遠慮ばっかで楽しくない。楽しくないと愚痴を漏らしているときが一番楽しい。そんな学生生活であった。でもそれを聞いてくれる人も居たし楽しくないけど言うほど悪くはなかったのだ。この鬱屈だけど晴れ晴れした気持ちを忘れることなく社会人であり続けたい。
延々と続くであろう青春を思うばかりなのである。