文章は現実を改変する

 現代はSNSでの写真や動画のシェアなんかがとても流行っているけど、やはり僕は文章が好きだ。文章には現実を思うように改変する魔力がある。脚色というやつだ。脚色という面ではまだまだ写真や動画は文章に遠く及ばないし、今後及ぶことが無いと信じている。写真、動画でも脚色して現実を改変が出来るという人も居るかもしれないけど文章のそれとは次元が違う。よく自撮り写真を良く見えるように加工してアップロードする女の人がいるけどあれは加工していることが分かるし、例え分からなくても加工しているのではないかと暴論を振りかざす余地がある。文章にはそれがない。

 例えば「ウグイスの鳴く声が聞こえた。」という出来事があったとしよう。それを踏まえて、「春の訪れを感じる。」と語る。実際にそのとき春を感じていなくても後から語ってしまえばその感覚は本物になってしまう。というか本物かどうかなんて誰も分からない。客観的に分からないのはもちろんのこと、自分で語ってしまったものだからその感覚が本当にあるのかないのかが分からなくなる。それに対して、写真や動画は現実の改変は出来ない。僕は旅行に行くのが好きなのだけれども、映像で見た綺麗な観光地と現実の現実感に溢れた観光地を見比べてがっかりしてしまうことがある。その現実感はそれはそれで良いのだけれど、あの映像は嘘だったのだとはっきり分かってしまう。現実と見比べなければ写真や動画も十分現実の改変が出来るのだけれども現実を見ようと思えば見えてしまうから文章には及ばない。そもそも「文章は現実を改変する。」という感覚自体が本物なのかどうか分からないけど語ってしまった時点で僕がそう思っているということになってしまう。だから文章は魅力的だし怖い。

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