愚か友達を見て我が身を省みる

  今日久しぶりに会った大学の友人が彼女が出来たことを嬉しそうな表情で話していた。聞くところによると彼女と毎日のように遊んでいるらしい。彼は幸せそうだが、私にはそれが良いものだと思えない。彼女と毎日一緒に居るということはそれ以外の選択肢がないということである。確実にもっとやるべきことはあるはずだろう。恋人はそんな不足感を埋めるための存在なのだろうか。互いの肉を貪りあって充実していない私生活を誤魔化すための存在。そんなことなら退廃的な生活を受け入れて堕落してしまった方が遥かに有意義じゃないか。そんな共依存と言うべき状態に誰とだってなりたくない。恋人とだって友人とだって、家族とだって。私は誰とだって相互恵関係になりたいと思っている。だけどそんなことを考える人はごく僅かで、世界は共依存前提で回っている。私の恵を与えあおうとする試みの一方で、周りの人間は共依存ロジックで私を差別する。私も弱い人間の一人だから馬鹿な他人の囁きに惑わされて共依存しなければならない気がしてしまう。ふと冷静になって考えると共依存の果てにまともな幸せなどないということは既に知っているのだが。21年間何をしていたのだと、0歳から昨日までの私が今日の私に問いかけてくる。何を言ってる。お前らのせいだ。

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