かわいい女の子はなぜかわいいのか

 

 私は物凄く色好みな人間である。大学に居ても正面から歩いてくる女性を目で追っかけてしまう。今の私の生活での行動のほぼ全てが結果的に女性を意識したものになっていると言っても過言ではない。それらすべて思春期のせいにする。思春期はクソであることはいうまでもない。(過去記事参照)

kuma2909.hatenablog.com

 

この記事を読んで頂ければ思春期が如何にしてクソなのかと私がどれほど色好みな、スケベな、変態な、ケダモノな、低俗な人間であるかは十分に理解して頂けるだろう。こんな劣悪な期間と粗悪な人間性が織り成すこの世の厄災とも言われるこんな私だが女性を見ていてある哲学的な問いにたどり着いた。

 

「かわいい女の子はなぜかわいいのだろう。」

 

 文化相対主義的に見ればその答えは文化によって美の基準が異なり、その女性が日本の文化の美の基準に当てはまっているため「かわいい」という判断になるというものになるだろう。しかしここで本当に問いたいのは「美しい」ではなく「かわいい」である。私が「かわいい」というときは2パターン存在する。性的魅力を称えたものと性的魅力を度外視にした何かに対して使うものだ。前者は確かに日本文化の美の基準に当てはまるかどうかの議論であるが後者はそうではない。ここからは後者の「かわいい」を明確にしていきたいと思う。そしてこれからは便宜上後者の「かわいい」を「カワイイ」として扱う。

  まず現状だと読者に「カワイイ」が一体何なのかいまいち伝わっていないと思うので、具体例を持ってしてその外郭を伝えていきたい。

 「カワイイ」の真なる例は動物である。若い女がトイプードルや子猫を見たときにスマートフォン片手に感じるあの感情だ。獣姦に勤む若い女を頻繁に見ることないということからそのとき動物に性的魅力を感じていないのは明らかだろう。これが「カワイイ」だ。この感情の特筆すべき点としては性的関心がないことの他に対象を保護したいという願望が挙げられる。トイプードル、子猫等はまさに保護の対象そのものである。このような動物は人間の手助けを受けることでこの社会の中で確実に生きていける(と人間は思う)。だから保護したくなるのだ。また最近ではブルドックなど少し不細工なのが良いとして「カワイイ」の評価を受けているような犬もいる。つまり「カワイイ」と容姿の美しさは関係ないのだ。

異性への「カワイイ」

 ここまで犬を例に挙げて「カワイイ」を説明してきたが次はそれを人間の女性にあてはめて考えたい。「カワイイ」を異性に当てはめて説明するのは実はとても難しい。異性愛者にとっては異性は性的対象以外の何ものでもないのだ。かといって性的魅力を全く感じない異性から「カワイイ」を感じ取ることはないだろう。だから異性に感じる「カワイイ」は性的魅力と共に得るものであるといえる。ここで重要なのが「カワイイ」は性的魅力を内包したものではないという点である。女性が同性に「カワイイ」を感じることは往々にして起こる。それと同じ感情を男性が女性に感じるとき性とは無関係のかわいいが発生するのだ。

かわいい女の子はなぜかわいいのか

 いままで説明してきた通り「カワイイ」とは保護したいという欲求そのものである。そのため「カワイイ」の対象は不完全性を帯びていたり、敵意がないことが必要条件になる。男性でなく女性にだけ「カワイイ」を感じやすいのは男性に比べ女性が非力であるからである。

 男が女性に「かわいい」と言うときそれは必ずしも性とは一致しないということが分かって頂けただろう。その言葉は下心というより寧ろ赤ん坊に向けた愛情と同じような極めて高貴なものである(性的魅力を讃えた「かわいい」があると言ったことは忘れてほしい)。そんな屁理屈を心に秘めながら私はこれからも女性を賛美していきたい。

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