俺はマジで女の子なのかもしれない

 タイトルから頭が沸いていて申し訳ない。しかしすべての事象には疑う余地がある以上この問にも多少の価値はあるだろう。

 世間一般で成人男性とされている人間を女の子とするのはかなり難しいことだ。しかし私が女の子であることは間違いない。確信している。

 最初に自分が女の子であることを疑い始めたのは恋愛小説を読んでいたときのことだ。男でも恋愛物語を読めば胸がキュンキュンすることはあるだろう。だが私は単純にキュンキュンしたのではなく甚だしくキュンキュンしたのだ。キュン死というやつだ。キュン死できるのは女だけである。また私は女性を見るとき性的な視点に加え憧れを持つ。あの可愛さに嫉妬してしまうのだ。以上が私が女の子であることを疑い始めたきっかけである。次からはもっと真面目に考察していこうと思う。

 

 まず私の恋愛対象は女性である。あんなごつごつしていて性器で物事を考える生き物を好きになるなんて考えるだけでゾッとする。そして私の体はそのような気持ち悪い生き物に非常に酷似している。「なんやお前ただの男やんけー」とツッコミを受けそうだがそれは早計だ。私が女性であることを正当化するには2つの点を押さえる必要がある。それを順を追って説明していこう。

 

1.身体が女性である可能性 

 まず最初に私の体自体が男性であることを否定したい。私の全身体的特徴は男性のそれに完全一致している。しかしだからといって私が女性でないことにはならない。私は全裸姿をそう多くの人に見られていない。つまり私の身体が男性であることを確信しているひとは殆どいないのだ。そもそも私は普段服を着ているのだ。私が服を着ている限りその前日に私が性転換手術を受けて女性になっている可能性を排除することはできない。その時私の体は男性か女性かの二択だ。つまり50パーセントの確率で身体が女性なのである。客観的に見ると私は女性である可能性を帯びているのだ

 

 

2.精神的な性別

 そして2つ目に私の精神的な性別を考えていきたい。ある説によると人間の性別を分類する3つの観点があるらしい。1つは身体の性別、そして恋愛対象の性別、最後に精神的な性別である。この説に当てはめると私の体は50パーセント女性で恋愛対象は女性である。最後の精神的な性別について言及しよう。前述の通り私はキュン死したり可愛い女の子に嫉妬したりする。もしかしたら私の精神は女性なのかもしれない。そうすると私の体は50パーセント女性で恋愛対象は女性そして精神的性別も女性ということになる。つまり私は男性に近い身体を持った女性が好きな女性ということになる。私は女の子なのだ。

 一見男性に見える人間が女性を好きなのだから古典的な性分類でいう男性であると思われるかもしれない。だがそこには疑う余地があり、実際私が述べたことを完全に否定することは誰もできないのだ。私自身この記事を書くことで自分の精神に関して新たな可能性を見出すことができた。私の精神が男性であるか女性であるかはこの先の人生で見極めていきたいものである。

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