どこにもいないはずの冴えまくりの人間

 

回想パート

 私は先日コンビニで中学の同級生に出会った。そいつは三年時のクラスメイトであり、クラスの中心的な人物であった。容姿端麗でサッカー部に所属していてその活躍は知らないがおおよそエースだったのではと私に想像させるくらい彼は当時冴えまくっていた。彼は当時これまたクラスの中枢に位置する女と交際をしていて、記念日にはサプライズをしていたり彼女に悪口を叩く奴がいれば真っ向から対立する姿勢を見せるなど実に真っ当な人間であった。私と彼は仲が悪かったわけではなく在学中はクラスメイト数人を交えて休み時間中に談笑したりしていた。だが彼と私にはやはり暗黙のちから関係があったように思われる・・・。

 

「おっ久しぶり」と彼。

「おっ久しぶり」と私。

 

 彼は現在進行系で輝いていた。当時と比べなんら遜色のないようであった。そして傍らには例の彼女。どこまでも一途な奴である。なんて美しいことだろう。一人の女を中学時代から二〇歳に至るまで愛し続ける、純愛そのものである・・・。ということはなんだ。私が女の子との会話が上手くいった、いかないで一気一憂してしている間、お前は彼女のことを思い続けながら勉学、サッカーに精を注いでいたってわけか。馬鹿にするな。

 

「相変わらずだなw」と彼。

 

 私は現在誰がどう見ても満場一致で負け組と判断するような身なりをしている。その伸びきった前髪とカサッカサの肌、おおよそ負け組と呼ぶに相応しい。そんな私を見て「相変わらず」だそうだ。「相変わらず」とはお前は中学の時から負け組だったよなと言っているようなものなのだ。彼との力関係は五年前に決定していてその効力は依然として続いていた。私がどれだけの苦悩を経て二〇歳になったか分かっているのか。冴えようと奮闘したんだ。相変わらずなわけがあるかぼけ。相変わらずだったとしてもお前にだけは悟られてたまるか。冗談はお前の冴えまくりの人生だけにしてくれ。

 

 どうでもいい話をした後、彼とその彼女が軽自動車に乗って帰るのを見送った。五分にも満たない時間であったがその時間だけで私の中学を卒業してからの五年間は全て否定されてしまった。彼が私のようなどこにでもいる冴えない人間の苦悩を理解してくれることはないのだと思うと一層悲しくなり立ち直れなくなった。

 

 

詭弁パート 

 物語の主人公の定石は「冴えない」こと。その理由はなんであれ基本的には冴えないのだ。物語の造り手が冴えない人生を送っていたから自己を主人公に投影させているなんていう捻くれた見解もできるがやはり物語と主人公が「冴えない」ことは密接に関わっている。物語の最も原子的な形のひとつは消失とその解消である。故に主人公が満たされていては物語は始まらない。物語の主人公はそのはじめ「冴えない」状態にいなければならないのだ(少なくとも主人公がそう思っていれば良い)。かくしてフィクションでは「どこにでもいる冴えない人間」が頻発する。彼らはどこにでもいる人間たちのひとりとして自己を捉え、あらゆる者との出会いを経て内的に成長し自分が主人公であることを自覚するのだ。

 

 現実世界で時折目にするどこにもいないはずの冴えまくりの人間は主人公になり得ない。コンビニで出会った彼は主人公にしては満たされすぎている。彼はずっと満たされながらその満ち溢れたものに気づくこともなく一生を終えるのだ。ざまあみろ。逆に私なんか主人公に向いているのではないだろうか。私は基本的に消失している。二〇年間途切れることなくなにかを失い続けてきた。こんな人間の消失解消物語は実に面白いだろう。興行収入も見込める。

 

 またそもそも「冴えまくりの人間」なんか存在しないはずである。私がコンビニで出会ったあれは単なる怪異だったのかもしれない。私の強いコンプレックスが見せた幻に過ぎないのだ。私の愚痴は怪異譚にまで昇華した。なんだそうだったのか!よかった〜!

 

 書いててそろそろ死にたくなってきたので終わりにします。閲覧ありがとうございます。事実は小説よりも奇なりって感じですね。

 

 

 

 

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