NTR好きは逃げだし恥だしどうしようもない

 寝取られ(またはそれに類すること)は辛い

私がこよなく愛するエロジャンルの一つであるNTRこと寝取られは自分の意中の人が他の男(男でなくてもよい)に陵辱されるという一見快楽とは縁遠いものである。自分の尊い愛が無下にされるという不快感を快楽の材料にするという大いなる矛盾を孕んでいる。本ブログではこのNTRに関する考察を散々してきたが、結局のところ自分が何に興奮をしているのか分からないままである。今回も停滞が続くNTR界に一石を投じたい(そんな界隈はない)。私には彼女が他の男と浮気するといった経験はないが、意中の女性が気づいたら他の男と付き合っていたりだとか、気さくに話しかけてくれて惹かれかけていた女性が誰にでも股を開くどうしようもない女だったことなどNTRに類する体験が6回ほどある。こういう経験をして真っ先に感じるのが男性としての不甲斐なさである。自身に性的な魅力があると自称しているわけではないが、こうも明確に魅力の無さを示されるとやはり気分は沈む。まぁそこまで残酷な否定をされても嫌にはなっても嫌いにはなれないのだからつくづく自分の不甲斐なさを思い知らされるところである。NTRとはつまるところ自分の不甲斐なさを客観的な事実とともに発見するものなのである。

 

NTRは架空のエロ?

 ここから本題に入るわけだが以前私のNTRという趣味を面白がる知人から「もし自分の彼女を本当に寝取られたら悲しくないのか」と聞かれたことがあった。この知人はNTR好きをなんだと思っているのだろうか。NTR好きだって一応人間なのだから失恋の悲しみに沈んだりもするのだ。というかそもそもそこに悲しみが無ければ寝取られたとは言い難い。失恋でメランコリーになるくらいの愛も無ければそこから自分の不甲斐なさを感じることもない。そういう意味ではNTR鬱状態なるところから始まるのかもしれない。

 だがしかし、実際の所恋人が寝取られて憂鬱になって不甲斐なさを感じた先に何かしらの興奮を覚えることが出来るのか私は分からない。なぜかというと経験がないからである。もしかするとNTRによる興奮というものは実際には存在しないのかもしれない。私はそんな真偽不明なエロに心震わせてきたのかもしれない。好きな娘に好きな人がいただとか好きな娘がビッチであったといった経験しかない所詮私はNTR童貞なのだ。(決してNTRが好きな童貞という意味ではない。)

 

NTRは自己防衛?

 色々考えていくうちに私は本当のNTRの興奮を知らないことに気付いた。私はNTR好きと公言することで潜在意識の内で自己防衛をしていたのかもしれない。NTR好きを自称していれば仮に好きな女の子に好きな人が居ても、「俺はNTR好きだから、それでも興奮出来るよ」と効いていないアピールをすることが出来る。本当は悲しくて仕方なくてもそれを紛らわすことが出来るのだ。それは自分の不甲斐なさからの逃げである。不甲斐なさを興奮に変える事が出来ると豪語しているのに本当は不甲斐なさから逃げていたとは随分と皮肉なものだ。今後私が寝取られるようなことがあれば是非NTRのことなど考えないで堂々と情けなく泣き叫びたいものである。

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