子供の視界

本日私はスターバックスの店内でアイスコーヒーを飲んでいた。するとブロンドの外国人女性とブロンドのちんちくりんな3歳くらいの女の子が入店してきた。その愛くるしさ故に自然と目がいく。

母親が注文をしている。おもむろにレジ脇にあったドーナッツをレジに置く。子供は小さなバスケットに入って置いてあった商品のポテチを母親に手渡す。しかし母親はそれをすぐにバスケットに戻す。子供は「なんで戻すのよ」と言わんばかりに再び胸に大きな袋を抱える。それでも母親はそれをバスケットに戻す。

彼女の視界に広がるのは自分の上半身くらいの大きさの巨大ポテトチップス。それはさぞ魅力的だろう。そもそも彼女の視界にはポテチ以外の商品が存在しない。彼女にとってスタバはポテチ屋さんだ。スタバがコーヒー屋さんだということを教えてあげても信じられないだろう。だが彼女が成長するにつれレジカウンター、ガラスケースに入れられたシナモンロール、轟音を鳴らすコーヒーメーカー、インカムをつけた店員の存在に気づくだろう。その頃にはポテチも縮小している。

成長とともに視界が変わっていくことはよくあることだ。小学生のときに博物館で2000円という大金を叩いて買った恐竜の牙の化石が私の宝物だった。今ではそれはガラクタの一つである。成長するにつれて視界に色々なものが入ってきて、気づけば化石は縮小していた。今私がやっている妄想と執筆だっていずれ縮小するかもしれない。しかし幸いなことにポテチとは違ってそれは物理的に小さくなることはない。妄想と執筆は縮小も拡大も思いがままなのだ。

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