外斜視という才能

 10歳のとき、ある日の夕飯で「楽しくない!おーい…どこ見てんの?」と母に問いかけられた。僕は真っ直ぐに母のことを見ていただけなのに不自然なほど心配していた。そんな過保護な母は僕を眼医者に連れて行き、そこで外斜視であることがわかった。寄り目と反対側につまり外側に黒目が行ってしまう状態だった。斜視持ちの人と相対したことのある人は分かると思うが、黒目がぶっ飛んでいる様はとてもシラフには見えない。そりゃ母も心配するはずである。と言ってもその具合はそこまで悪いものじゃなく疲れると筋肉が緩んで左の黒目が外へ微妙にズレてしまうくらいのものだった。そんな母の過保護のせいでそれから1年間、目のトレーニングを余儀なくされた。毎日5分、30センチ程細長く切った方眼紙を左右の目を仕切るように眉間に押し付ける。僕の視界は左右に分断される。方眼紙の先っちょにはシナモロールの丸いシールが左右に貼ってあり、その目印を注視するというトレーニングだった。目印があるとなんとか左の目玉を正常な位置に行かせることが出来た。そのトレーニングの結果、外斜視は治りはしなかったがコントロール出来るようになった。意識をすれば目を内側に戻せるという状態だ。

 だから僕は人の目を意識するときは基本的に斜視を我慢して過ごしている。母の過保護のお陰で僕はなんとかシラフの世界に戻ってきたわけだ。コントロール出来るようになると外斜視はむしろ長所になると思っている。普通の人は目の筋肉を緩められない。可哀想なことに抜ききれない。なのに僕はどうだろうか、人が気を緩められない領域まで深い深度でボーッとする事ができる。外斜視に身を委ねているときの僕はもはや自我があるのか疑問に思えてしまうほどボーッとしている。外斜視中は声をかけられても直ぐに反応出来ない。というかしない。サウナ後の外気浴で僕よりも空気と一体化している人は恐らく居ないだろう。つまらない授業も眠ることなくあっという間に過ぎる。そして今も仕事を楽にしている。外斜視とは気を抜く才能であると僕は思うのだ。

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