プールで泳ぐ

 身体が鈍っているからとかそういう理由じゃなくて、もっとこう衝動的な理由でプールに行った。ちょうど水戸市にある運動公園には暖房設備付きの屋内プールがあることをインターネットの情報で知っていた。運動といえば朝イチ。その日は清々しい朝日共に健やかに身体を動かし、最高の休日にするのだと意気込んで8時のアラームで起きた。しかし再びインターネットの情報を見てみると「土日は13時から利用可能」という記載があり、さらには空は暗雲が立ち込んでいる。泳ぎたいがために100均で水泳キャップとゴーグルを買ったというのに。鈍ら大人が水泳グッズを買うのは少し気恥ずかしかった。それらのグッズが赤白帽や防災頭巾と一緒に置かれていたからだ。

 仕方がないので水泳キャップの袋を開けて、興味本位で被ってみた。ユニセックスのそれは僕の頭には少し小さかった。頭の血が止まる心地だ。なにがユニセックスだ。ユニバーサルがら阻害された気持ちになった。部屋の姿見を見ると頭がちっちゃくなった自分が写っている。「もし坊主にしたらこうなるのね」と変な気づきを得た。

 ここでなぜ僕が泳ぎたいと衝動的に思ったかについて話しておきたい。僕が下等教育を受けていたとき、体育の授業が苦痛で仕方なかった。脚は効率的に動かないし、球技では「ヘイパス」などと自己主張をすることも出来ない。ただ水の中では僕はまともに浮くことが出来たのだ。太っていたから水にいるだけで浮いた。浮いた状態で水流を起こせば自ずと前に進む。速く泳げるわけではないけど人並みに出来るものだった。今考えるとおかしなことなのだけれど、友達と夏休みに市民プールに行ったときに水の掛け合いをするわけでもなくただ2時間位ぶっ通しで平泳ぎをしていたことがあった。ゴーグル越しに見る真っ青なプールと、水をかく自分の手。水中の静けさ。プールの端だけを目指して何度も行き来する。それ以外に何も考えないあの感覚。最近は仕事で常に色々なことを同時に考えているから、そういう感覚が無性に懐かしく感じたのだ。

 運動公園に行ってみると想像以上に車が止まっていた。100台ほど収容できそうな駐車場が半分ほど埋まっている。運動にこれほど需要があるなんて知らなかった。プール施設前には色の黒い若者が煙草を吸いながら明朗に会話をしている。受付にはアルバイトと思しき爽やかな大学生がいた。若干気押さながらも入場料の430円を支払う。そして更衣室で頭を小さくした。水着に着替えて中に入ると生温かい風に包まれた。情報に違わず暖房装置が動いている。15人くらいの人が既に居た。25mプールはいくつかのレーンに分かれていて、左から歩行レーン、練習レーン1、練習レーン2そして広く取られた遊泳エリアが並んでいた。泳ぎたくてウズウズしていたので迷わず練習レーンで泳ごうと思った。

 そこでは既に60代くらいの年配男性がクロールで泳いでいた。4回に1回のペースの息継ぎのハードスタイルクロールだった。僕がここに来てから既に2往復している。僕も負けじと練習レーンへと乗り込む。25mプールの向こう側を水面近くまで顔を落として凝視する。そして水面に顔を落とし、そこからさらに沈み込んでからプールの側面をキックする。水着がゆるいからあんまり強くは蹴れない。弱いキックから出来る限りの蹴伸びをした後に水面に浮上する。既にプールの1/4ほどに到達する。水の抵抗のないように右の手の平を縦にして水から揚げてそのまま肩で円を描くように入水させる。ほんとはもっとバタバタしたかったけど、カッコ悪いのでこういう泳ぎ方をしてみた。泳いでも自意識が過剰なのは変わらない。ただ陸にいるときよりは遥かに純粋な気持ちで1点に集中していたのだと思う。あっという間に最初の25mを泳ぎ切ると、先を泳いでいた年配男性との距離が縮まっていることに気付く。同じペースで行けば次の25mで抜かせそうな程に。自分は腐っても若者だったのだ。硬派クロールの年配男性に軟派クロールで勝ってしまったことを申し訳なく思う。そして僕は先程よりも強くプールの側面を蹴った。そして、おしりを少し露出させた。水着のゴムをクイッと上げて、もう一気に抜かしてしまおうと思い硬派スタイルに切り替える。肩の回転数も増やし、全力を出す。心拍数は上がり、ただひたすた進むことだけを目指した。残り数メートルからは息継ぎをやめて硬派を極めた。折返し地点に到達する。苦しくて勢いよく水面飛び出す。ちょうど年配男性が折返しはじめていた。

 視界は砂嵐のようにジリジリとなっていて、息切れが止まらない。プールの壁にもたれて、全力で呼吸をした。なんとか視界が戻ってくると、肩が痛すぎることに気付く。「もう泳げない」そう思い、僕はプールサイドに上がった。おじいさんはその間にもう一往復していた。ただプールで水と親しみながらあの頃と同じように一心不乱に泳ぎたかっただけなのになんでこんなことになってしまったのか。どうしようもない自意識の膨張が産んだ悲劇である。でも来週もプールに行こうと思う。砂嵐のときは他に何も考えられないのだ。

女には足を向けられない

 何年か役者をやっている男よりも、演劇をはじめました的な女の方が自然に舞台に馴染んでいる光景はいつ見ても不憫で仕方なくなる。もちろん技術的なところででは前者の男のほうが上手いと思わせられるけども、後者の方が演じられていると思うことのほうが多い。これは別に舞台で目立つとかそういう話じゃなく観客として自然に見れるという類の話である。

 こんなこと言うとお前がスケベだから女性の役者をえこひいきしているんだろと思われるかもしれないけど多分そうじゃない。ちゃんと不自然な女も少数ではあるけどいる。でも男はいっぱいいる。男女でなんでこうも比率が違うんだろう。

 僕は典型的な不自然な演技をする男だった。舞台に登場する男に憧れはするけども自分がそうなるビジョンが思い浮かばない。そもそも舞台に登場する男は僕よりも喋り過ぎなのだ。結果として表面をなぞっただけの不自然が出来上がる。

 女が化粧をして、恋バナをして自分の可愛く見える角度研究している最中にジャージを着て、脱いでマスカキをして、本を読む。女という性別は自発的女にならざるを得ないけど、僕は女性のことが大好きな性別としてただ存在しているだけである。だから舞台上だけ男になってくれと言われても到底無理な話なのだ。考えて見れば女歴が長い女が役者歴しかない男よりも自然に見えるのは至極当然の話なのかもしれない。でも僕はスケベだから女歴が比較的短い女の子もそれはそれでいいと思う。そういう存在だから仕方がない。

昼からお酒を飲んでみる

 昨日は土曜日の昼間から思い切ってお酒を飲んでみた。500ミリリットルのアサヒスーパードライとおちょこ5杯分の日本酒を飲んだくらいで、頭が痛くなりかけた。お酒歴5年目だからわかるのだけれどもこの頭が痛くなりかける寸前が一番心地よく酔いに身を委ねることができるのだ。時刻は午後3時、ピークが早すぎる。この時点で夜までお酒を楽しむことができないことが確定してしまった。

 仕方がないので僕はワイヤレスイヤホンを耳につけた。そしてSpotifyからシンセサイザー多めの音楽を流した。この状態で耳に流れてくる電子音はさながらナイトクラブに来たようなノリノリの気分にさせる。ナイトクラブには行ったことないけども。まぁとにかく僕は身体を揺らし指でビートを刻みながら音楽を浅く楽しむ。リコメンドで「今夜はブギーバッグ」流れてきたところで一人ナイトクラブもどきをしているのがバカバカしくなり、また自堕落部屋に戻ってきた。時刻は午後4時半。よくもまぁ1時間半もノリノリで音楽を聴いていたものだ。

 そこからは気になっていた聖域をNetflixで見ることにした。まぁ今考えれば馬鹿なのだが、僕は布団に潜って視聴を初めてしまったのだ。1話の1時間30分もの間、お酒ででろでろになった人間が耐えれるはずもなくそのまま眠りについてしまった。当然の帰結であった。

 次に目を覚ましたのは午後10時だった。大切なサタデーナイトが終わっちゃうと思った。引き続き日本酒を飲もうと思ったが、つまみがなかった。仕方がないので眠い目を擦りながら徒歩15分もかかるコンビニに行くことにした。水戸市の外れにある僕のアパートの周りはこの時間になると人通りが一切なくなる。お酒を飲んでいなければいつも車を使うので、夜に家の近所を歩くのはそういえば初めてだった。夜道を酒に酔いながら一人で歩く。大学時代はよくやっていた。決まって酷い孤独感に襲われる。夜道歩きはある種の自傷行為である。歩きながら、何か大胆な行動を起こそうと決意していたはずだが朝起きたら何を考えていたかも忘れてしまった。テーブルには昨夜買ったぬか漬けの人参が二切れ残っていた。

おしゃべらない人

 僕は小さい頃から口数が少ない。だからといって根暗で人と関わるのが嫌になっているという感じでもない。何かしらの話題を抱えているけど、周りの目が気になってそれを表に出すべきか常に悩んでいる。「おしゃべりな人」の対角線上の存在「おしゃべらない人」たる自分が心底好きじゃない。

 おしゃべらない人を擁護する声として、「自分が喋らなくても話を聴くのは上手いんだよ。」などというものがある。ただ本当は僕も気の赴くままに喋りたいのだ。僕の仲がいい友人、というか一緒にいて苦を感じにくい人は喋らせてくれる。彼らと会うたびに僕が普段如何に喋りたいけど喋っていないのかを痛感する。

 じゃあなんでお喋らないのかというと、相手につまらない人間だと思われたくないからだ。含蓄のある人間だと思われたい。相手と仲良くするとかはどうでもよくて僕に凄みを感じて欲しい。会話の中でそういう言葉を探しているうちに、タイミングを逃してしまう。結果本来僕のセリフが入るべきシーンで「...。」となる。たまにタイミングを逃してでも凄みゼリフを割り込むこともあるが、セリフが飛んだ役者みたいになる。

 女の子といるときはその傾向に拍車がかかる。凄みに加えて、カッコよく思われたいだとかお喋らない人に思われたくないだとか色んな方向の思惑が出てくる。それなのに実際考えていることといえば「〇〇ちゃんかわわ」といった含蓄もかけらもないことなのでセリフは「...。」となってしまう。そして最後の望みをかけて、少しアンニョイな表情を作って若干空に視線を向ける。オーバーヒートした脳内とクール気取りのおしゃべらない。こういうことをしている瞬間が本当に生きづらい。

aikoがキショカワイイ

aikoは女である

 2023年の年明けくらいから私のSpotifyではaikoがよく流れている。はじめに聴いていたのはボーイフレンドだった。aikoの歌詞が笑ってしまうくらい理解出来ないのが面白かった。例えばこんなの。

唇噛んで指で触ってあなたとのキス確かめていたら

男はそんなことしない。そんなに恋愛に陶酔しきることなんてできない。おちんぽ触って貴女とのキスからの一連の行為を思い出すことはあっても、キスを確かめたりはしない。

 まあそういう意味でaikoの曲に心惹かれたわけである。特に詩的に素晴らしいとかそういうことじゃなくて、aikoの女的感性が私に一切ないものだから異文化交流的意味合いで好きなのだ。恐らく恋愛をしている全女が薄っすら思っていることを恥ずかしげもなく堂々と歌い上げる。言うならば誇張し過ぎた女といった塩梅である。女を濃縮還元したらきっとaikoになる。

 

 歌詞が女過ぎる故に女的な気持ち悪さと可愛さがドロドロに煮詰まっている。ボーイフレンドみたいな幸せど真ん中な曲もあれば、過去に思い耽ってもう訳わからない境地まで達しているものもある。昨年リリースのあかときリロードなんかひどいものである。

上書きするほど更新されないだってずっと好きなんだから  変わりたい変われないもっとちゃんとしたい でも今あなたを好きな自分も好きでいたい

40代後半のババアがよくも、こう女でいれるものである。かわいいじゃねぇか。不埒さを誇り、恋愛を大切にする。こういう女的な姿勢を短い言葉で感情のままに歌詞にするのは圧巻である。かわいいじゃねぇか。

 

私達がaikoから学ぶべきこと

 aikoもとい女は気持ちが悪い。でもかわいい。ボーイフレンドの歌詞はもちろん謳われたら嬉しいだろう。そんな気持ちを爆発させているのを見るのでもかわいい。一方あかときリロードどうだろう。傍から見たらキモいし、謳われて五分五分といったところだ。

 しかし私達はaikoもとい女を否定してはいけない。あなたをとのキス確かめる存在、引くほど恋愛を重要視する存在。それらは表裏一体でどちらのみでは存在し得ない。だからこそそれら全てをまとめて「かわいいじゃねぇか」と思う必要があるんじゃないだろうか。女は大なり小なりaiko薄めた存在と思ったほうが気が楽である。

 

追記:aikoに習って対となるガールフレンドを考えてみたが男過ぎたため記述は控える

オレくん❤️

 セブンイレブンで売ってる380円のタンパク質の量が売りのチキンサラダスパゲッティ。それを内心ニコリとしながら外心ぶっきらぼうに店員さんがいるレジへ運ぶ。

「お箸とフォークどっち付けますか?」

「あ。えっとフォークで。」

その心は、“世論に流されずにプラスチックを消費する俺カッケー”であった。決まって「あ。えっと」で考える。今の自分が現状の小手先でどういう行動をとったら自分がかっこいいと思えるか。どうやらちょっと他人と一線を画してて、出しゃばり過ぎないラインをかっこいいと思ってしまうらしい。社会人になって1年自分にどう見られるかを常に意識して生活している。何も変わらない。気の赴くままに、楽しいことをすれば良いのにと思う。楽しいことであるはずの趣味だって、こういう趣味持ってるのがかっこいいと思って趣味にしている。ラジオを聴くのだって、休みの日にたまにフラッと散歩に行くのもカッコいいからだ。なんで自分しか見てないのにカッコつけているんだろうと休日ふと疑問に思う。だからといってダラっとYouTube を見て1日を過ごすとカッコよくなさすぎて体調が悪くなる。だから僕は自分の体調のためにも自分にカッコいいと思われることをやって生きていかなければいけない。

 「オレくん、今オレと目合わなかった?やっば今ブスな顔してたかも〜。オレくんのタイプの男に私ならなきゃ!まずは夏までに5キロ落とす!けってい!」

 僕の人生最大の課題はこのオレくんをぶち殺すことにある。そうしないことには大人になれない。いつまでも変わらない。あ。えっと、栄養バランスに価値を感じてサラスパを買うようになったのは唯一変わった部分だとは思う。

 こうやって最後に斜めから見てるアピールするのも良くない癖だ。

なぜラッパーはすぐビッチを連れるのか

 最近はよくヒップホップを聴く。ワルの音楽だ。不良という自分の知らない世界を覗くことが出来るのが魅力の一つだ。昔からの仲間とギャング活動をして、刑務所にぶち込まれる。色々なものを失ったが、今はマイク一本でライブオンステージ。こんな世界観だ。暴力的なリリックにカッコよさを感じてしまう。僕も立派な男の子ということだ。

 ふと気づいたのだが、ラッパーが語る物語にはしばしば女が出てくる。そしてそれは決まってビッチなのだ。なぜラッパーはビッチが好きなのか。

 ビッチは色々な男についていく難易度の低い女である。ラッパーともあろうお方がそんなシャバい女を連れていていいのだろうか。

 実のところ僕もビッチが好きだ。難易度が低いというのももちろんなのだが、ちょっとあたふたしてたらいつのまにか他の男の下へ行ってしまいそうな感じが良い。つまるところNTRが達成し易い。ラッパーがビッチが好きで僕もビッチが好きだ。同じようにラッパーは潜在的NTRにドキドキしてるし、僕もNTRを愛している。つまり僕はラッパーである。

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