渋谷

 久しぶりに渋谷区に来た。23時の渋谷で僕のように一人で目的地に向かって出掛けている人はいない。前回は恋人と歩いていたからなんとなくそう感じる。人との用じゃなければこんな街に来ることはないだろうと思っていた。夜の渋谷に歩いているのは、皆それぞれ一定の世界観を纏った人ばかりだ。プラスかマイナスはさておきそれぞれ生き方が定まっているような感がある。色気しかない女なんかがその良い例である。一方僕はどうであろう。アイデンティティというものの欠片もない。そして迷った挙げ句に僕に似合わない街、渋谷に一人で来てしまった。アイデンティティが定まっていないという世界観を纏っていると言えるかもしれないが、カオスを売りにしたような物語がゴミなのと同じで、僕はどうしようもない。

 僕がなぜ渋谷区なんかに来たかというとナイトクラブで遊ぶためである。オールナイトでDJ達が音楽をかけまくるイベントである。僕は、普段随分な硬派気取りだが音楽に身を委ねるのが好きだ。お酒を飲みながら、好きな音楽を聞いて、ただ踊る。とは言ってもチャラいだけのイベントだと気後れしてしまう。だから決まっていつも参加するのはインターネットカルチャー音楽を中心としたイベントである。

 あれだけ、疎外感を感じていた渋谷だったのにライブハウスに入ると真っ先に目に入ったのはメガネをかけて、サイズ感のおかしな半袖シャツを着たオタクが汗だくで踊っているところだっら。DJも、盛り上がるフロアを前に照れくさそうにハンズアップをしている。かかるのは「患部で止まってすぐ溶ける」。僕はそれに合わせてイケてるノリ方を試行錯誤する。持っていたビール缶の炭酸が抜ける。

乏しい

 私は最近仕事のやる気が皆無である。私の仕事の動機は快楽であった。営業で契約をうまいこと取れた瞬間に、「俺は社会に受け入れられている。」「一端の仕事が出来るのだ。」と認識し、自己肯定感が著しく上がっていた。しかし、その快楽にも慣れてしまった。営業で何か成果を出しても感情の揺れ動きが少ない。もっとも、成果もより大きいものであればその限りではないのだがその成果を得るためには幾分かの計画性と精神力が必要になる。私はその日暮らしの快楽しか目指せないためそこには到達することが出来ない。つまるところ私には仕事をする上で大切な要素が欠如していたのだ。

 唯一の喜びである快楽が見いだせなくなると、仕事は途端につまらなくなった。どこか外側に動機を見出す必要があるかもしれない。でもそれが出来ない。客の笑顔のため?客は嫌々契約をしてくれている人ばかりである。会社のため?社長の顔も見たことないし、残業代も払わない会社を恨むことはあっても恩を感じることはない。社会のため?もちろん弊社は社会貢献を謳っているが、内情は金儲けの意味合いが強い。

 特に結論を出すようなことはしないけど、今は虚無の期間に入っている。憂鬱なんかじゃない。ただ単純に体力がないだけだ。1年前に適応障害で辞めた同期が羨ましい。私も憂鬱になれるような感受性が欲しいと切に願っている。絶対にねだるようなものじゃないもの無い物ねだりすることが増えた。1ヶ月放置しても、疎らにしか生えない髭も嫌いだ。

 

 

去年は良かった(n度目)

 僕の精神は、社会人1年目のときよりも遥かに摩耗していてあのときあった無尽蔵のやる気とかもとっくに失われている。頑張れないことが苦しいという去年であれば想像出来なかったようなことになっている。去年の僕が今を見たら「苦しいのなら頑張ればいいじゃない」と社畜マリー・アントワネットみたいなことを抜かしていると思う。今の僕は、最大限に体力だとか精神力がない。死にたいとか大層なことを言うつもりは毛頭ないし、何なら150歳まで生きたいと思っている。だけど24歳から136年間下り坂なんて人生はまっぴらだなと思う。

 例年、僕は夏に活動的になり冬に半冬眠といったサイクルを送っている。夏がこれでは先が思いやられる。ただ今がかなり急勾配の下り坂であるため去年と同様に頑張るというわけにも行かない現状である。

熱中症

 片道二時間かけて、前橋の支店まで移動してきた。8時過ぎにも関わらず外気温は35℃を超えている。来る途中、社用車のエアコンから出る風が温風に変わった。何度エアコンの稼働ボタンを押し直しても冷風は出てこない。幸い家を出てから、でか目のアイスコーヒーを買っていたし、塩分補給用に干し梅を常備していたのでなんとか生きて移動できそうな気がした。

 高速道路に乗っている最中、窓を空ければなかなかに心地良い風が入ってきた。そんな中でカーオーディオを鳴らせばさながらリゾートに出向く気分になる。まるで仕事に向かっている気がしなかった。好きなアイドルソングのベースラインに歌詞をつけて歌っていた。多分暑さで頭がやられていたのだ。

 なんとか生きて支店の駐車場まで到着する。生きていることの感謝で、私は嬉しくなった。そしてこのコンクリートに覆われた大地すら愛おしくなった。そうだこのまま大地とキスをしてしまうおう。そう思ったのも束の間、手足が震えが止まらなくないことに気付く。バッグ駐車することもままならない。運良く同僚が外に出てきた。同僚に見てもらいながらバッグ駐車をする。後ろにちょっとぶつける。

 その後、介抱してもらい緑茶とOS1そして麦茶の500mlボトルを1本ずつ飲み干した。シラフに戻りこうやって記事を書いている。熱中症は一定の気持ち良さがあった。だが結末は完全にバッドトリップだった。暑さで頭がやられる。こういうトリップも女の子の前ならもう少し機能的なのにと思った。

過去のメモ 2020/5/3

このままメモの入ったスマホを処分するのも億劫なので

 恋愛をしていると好きな人の目を見ているのか好きな人の乳房を見ているのか、はたまた女性全般の乳房を見ているのかよく分からなくなる。私はまだ彼女の乳房を見たことがないけれど彼女の乳房の形や乳房に自分の顔を埋もれさせることばかり考えてしまう。詰まる所私は変態なのだ。私の唇を彼女のどこに着けたとしても私は喜びを感じられるだろうから変態行為への欲望は高まるばかりだ。しかし困るのはそれと同時に彼女の目を見るだけで幸せを感じてしまうということだ。だからいつもそれで満足してしまう。もし私が好きな女性の目を見て幸せを感じられない類の人間なら真っ先に彼女を犯していただろう。目じゃなくて乳房を寄越せと横暴することもできたはずだ。乳房で感じられるであろうより多くの幸福を知っているから目を見るのが寂しい。

 

振り返り

シャイボーイが彼女に手を出せない葛藤をもっともらしく語ってて草

・知り合い及び好きな娘が見るの可能性のあるブログにはこの文章を出せなくてないのが自分らしい

・たぶん乳房8割、瞳2割だった

パソコンを開くのが嫌になる

 今日は久しぶりにパソコンを開いてブログを書いている。大学生のときは空きコマに意味もなく図書館に行き、パソコンを開きながら小説を読んで書きたい欲が高まったところで殴り打ちでブログを書いていたことを思い出す。気づけばパソコンを開くこともめったになくなくなり、スマホの窮屈なバーチャルキーボードで細々と入力をしている。物理キーボードで書く文章は一味違うなぁと思いながら入力している次第である。これを読んでいる諸君には同一の記号データしか届いていないのを悲しく思うが、確かにここにはキーボードに乗せられた数グラムの指の重みがあることを知って欲しい。

 そんなことはさておき、なんで僕がパソコンを開かなくなってしまったのか。もちろん時間がなくなったといえばそれまでだけれども、パソコンには大学生の頃の痕跡が染み付いていてなんだか居心地が悪い。クロームのブックマークバーには知的関心と名付けられたファイルがあり、そこを開くと僕が大学生の卒業研究のために読み漁っていた論文や関連記事なんかが保存されている。コンピュータのフォルダを開けばワークショップで作った新しい美的基準を提唱するポスターがあり、サークルフォルダには演じられることもなかった演劇の脚本がいくつかある。無題の文書ファイルには当時好きだった女の子への渇望が書かれている。おいおいなんだよこの面白大学生は。あれだけ毎日が大したことなかったのに、嫉妬の対象になっている。今は仕事終わりに仕事の原稿作成をして期限に怯えながらやっている。変わっちまった。変わらないのは寝る前にオナニーをするくらいである。

虫と暮らす

 社会人1年目はゴキブリ。シンクの正面の壁に彼が這っていた。それも特大のクロゴキブリが。はじめて見たときはギョッとした。営業の仕事をして、客前での出来事に一喜一憂をしているときに現れて家に帰ることを億劫にさせた。帰ると決まってシンク近辺で僕のことを待っている。とにかく気持ち悪い。電気料金の支払いが遅れて停電したときは、暗闇の中で確実に蠢く彼の存在に震えたものだ。でも次第に「待っていてくれる」というその現象のみを見るようになっていて、気付いたらその存在に嬉しさを感じていたのである。いつもは決まった場所に居るのだけど、彼女を家に入れたときなんかはひっそりと鳴りを潜めてくれていた。気が利く奴である。もし彼女の前で彼が現れたのなら僕は体裁上、ティッシュボックスで殺さなければいけなかった。躊躇なく、スパーンと行っていただろう。逆に出てくれた方が、きっぱりと決別出来たのだろうけどもそうはさせてくれなかった。憎らしい奴である。何はともあれ共同生活は上手く行っていた。

 9月の残暑が鬱陶しいくらいの頃合いには、小さな個体が見られるようになった。君もついに家庭を持つ頃合いかと感慨深く思った。いつものシンクに居ることが少なくなる。親しい友人が彼女との婚約を教えてくれたときと似た感覚だった。

 一人暮らしの開始から半年が経ち、玄関が夏に買ったビーチサンダルとニューバランスのスニーカー、二足の革靴で埋め尽くされていた。新しく買ったエアジョーダンを置くためにそれらを靴箱に避難させる。すると隅っこによく肥えたクロゴキブリの死体を見つけた。流石に泣くほど狂ってはいなかったけど、それなりに悲しい気持ちになった。それなりに弔いながら燃えるゴミに捨てた。

 社会人2年目はコバエ。コップに放置した日本酒の中に多数の死骸が浮かんでいる。出張続きで、家にゴミを溜めすぎた結果だ。もちろん生きている個体もいる。こいつらが何かを象徴するのかはまだ分からないでいる。単純に退廃なのかもしれないし、もっとなにか高尚なものなのかもしれない。感受性が試されている。舐めるなよ、僕は血を吸っている蚊に劣等感を感じたことがあるんだ。

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