懐古趣味な私
私には古き良きものに憧れがあります。例えば布団の中にラジオを持っていって深夜ラジオに耳を立てていた頃の若者が羨ましくて仕方ないのです。スマホでrazikoを起動して布団の中に潜るのとはワケが違うのです。聞けるものは同じですが、感覚として大きな違いがあります。このように世の中には憧れるような古き良きものに溢れています。私がこうやってSNSではなくてブログで物を語るのも古き良きものへの憧れの一つなのかもしれません。まぁラジオの時代から大きく進みますが、インターネット黎明期に必死で何かを発信しようとした過去の人間の影を追っているのかもしれません。しかしこれは文化の後追いに他ならないわけで、今の時代に生きる私としては未来の懐古趣味の人間に憧れられるような行動をしなければ文化は先に進まないような気がします。だからといってSNSで下らない短文を並べ何かをシェアしようという心持ちには到底なれません。それが古き良きものとして受け止められる未来が見えないのです。
懐古趣味を担っていきたい
懐古趣味と言っては聞こえが良いですが、結局の所私は異常なほどに保守的なのです。流行りごとに乗っかって新しい文化をアイデンティティとするよりも、昔のものを賛美し続ける方がよっぽど楽なのですから。こうやって楽ばかりする私が正しいのか絶え間なく流行を取り入れる新文化人が正しいのか今は分かりません。だけど私の憧れるような人は例外なく少々古臭いことを仰るのでこのような趣味を続けたいと思うのです。私が好きなものは古き良きものなのか古き悪しきものなのかその見極めは未来の懐古趣味の者に任せましょう。私はSNSで短文でつまらないことを言う文化が次世代に尊敬されることはないと信じて現時点のレトロを引き継いでいきたいと思うのです。