お父さん似ね(精神的に)

 父は僕に似てる。いやここは僕は父に似ていると書くべきか。人と上手くやっていけないことを必要以上に悩む。そして自分の人生にそういう感覚が染み付いてしまって自己嫌悪に再三陥ってしまう。父はたまに弱気になってそんな気持ちを僕に吐露する。そして自分が如何にだめなのかを喋り、似た僕の身を案じる。そんなものは余計なお節介というものである。私は自分が如何に内向的なのかを熟知しているし、内向的なりに捻くれて生きている。父を見ていると僕が捻くれないで素直に生きたルートを見ている感覚になる。同じような性格でも違うルートを選んだ人間同士は絶対に相容れない。なんなら全く違う性格同士の方がずっと上手くやっていけるのだ。父は僕の身を案じると同時に嫌悪する。内向的で捻くれた息子を哀れみ、自分のルートに矯正させようとする。内向的ならせめて良い人であれといった塩梅である。

 父が僕にそうするように僕も父に哀れみをもって接してしまう。だからといって反抗期みたいに、舐めた態度を取るわけではない。僕ももう大人だ。そういうルートを選びながら僕を育てたことについては一応尊敬している。精神的にどういう風なルートを選んでさらなる大人を目指すべきか、それが当面の課題になるわけである。良い人であれという命題にたいして、アンチテーゼとしての捻くれ、そこを超越するような回答を期待したいものだ。

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